令和の今、いったいどの夫婦を「芸能界きっての大物カップル」と呼んでいいのかはわからないが、仮にその夫婦が離婚した際、元カレ、あるいは元カノのもとに芸能記者が大挙して取材に行くなどということは、まずありえないだろう。
しかし昭和、平成時代にはそんなことがままあり、松田聖子が神田正輝と離婚した際も、なんと50人を超える記者が、聖子の元恋人である郷ひろみの元へ取材に走ったことがある。あれは忘れもしない、1997年1月10日のことだ。
郷と聖子は4年に及ぶ交際を経て結婚寸前までいったが、1985年1月に破局。その際の会見で生まれた「今度、生まれ変わった時には絶対に一緒になろうねって約束した」との名ゼリフは今や伝説となっている。
その後、聖子はそそくさと神田と結婚。一方の郷も1987年に二谷友里恵と結婚して、2人の子供を授かった。
つまり聖子と神田が離婚した時点で、あの名ゼリフ会見からすでに12年が経過していたことになる。
にもかからず、芸能記者たちはなぜ郷の元に殺到したのか。実はその日、たまたま都内で郷が主演する舞台の制作発表があり、それが聖子の離婚会見直後のタイミングとドンピシャだった。そこで各社は「今ならあの時の真相を郷の口から聞けるのでは」と踏んで、彼の会見を直撃したというわけである。
さて、舞台に関する話題が終わると、いよいよ本題へ。まず、一報を聞いた感想を、郷は言葉を選びながらこう述べた。
「夫婦間のことは本人同士にしかわからないこと。ここまで来るには大変な労力があったはずです。本人が決めたことだから、周囲が詮索することではないですが、ただ精神的に参っているだろうなぁ、と思いますね」
別離後も幾度となく、2人の「ニアミス」はあった。だが周囲の忖度もあり、その距離感が縮まることはなかった。ましてや聖子は当時、外国人男性との不倫の噂もあり、郷としてもすでに終わったこと、と考えていたはずだ。
が、そこは当時の芸能記者の執念深さ。会見ではさらに畳みかけるように質問が飛ぶ。郷は言った。
「今は大人になって、それぞれが違う道を歩んでいる。特別な思いはすでに形を変えています。もし(今も)友人で、離婚のことを相談されたら『およしなさい』って言ったでしょうね」
そうサラリとかわすと、こう付け加えたのである。
「うちはなんの問題もない。2人の娘もすくすく成長しているし、すごく充実している。友里恵が遠い存在になることなんて考えられないし、僕の中から彼女が消えるのは、とても恐ろしいことです」
しかし、そんな郷が著書「ダディ」で自らの不倫を告白し、二谷と離婚したのは翌1998年4月だった。これぞまさしく「THE芸能界」。多くの芸能記者がこの意味を、改めて噛み締めることになったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。