1990年春のメガネスーパーによる新団体SWS設立の際、最初に選手引き抜きのターゲットにされたのは新日本プロレスだが、抜かれたのはジョージ高野と佐野直喜の2人だけ。
選手とレフェリー、フロント関係者を含めて14人もの離脱者を出した、全日本プロレスに比べるとダメージはほとんどなかった。
前年89年夏に参議院議員になった猪木も7月には代表取締役会長となって、実質上のオーナーに復帰。猪木は資金豊富なSWSに対抗するべく、佐川急便という大スポンサーを付けた。
さらにSWSがアメリカ・マット界最大手のWWF(現WWE)と業務提携の動きを見せると、新日本はそれに先駆けて11月6日に坂口征二社長、倍賞鉄夫取締役、海外窓口のマサ斎藤とタイガー服部の4人が渡米して、ヒロ・マツダを仲介役にWWFと敵対するWCWとの業務提携の仮契約に調印。SWSが11月20日にWWFとの業務提携を発表するや、新日本は1カ月後の12月20日にWCWと正式に契約してSWS&WWF連合軍VS新日本&WCW連合軍の図式が生まれた。
90年の年頭に坂口征二社長と全日本のジャイアント馬場社長の信頼関係からスタートした両団体の協調路線は、猪木の復権によって終了したものの、当時の新日本は全日本との友好関係を維持しながらSWSとの企業戦争に傾注していたのだ。
SWSとWWFは業務提携記者会見の際に翌91年3月30日に東京ドームでビッグマッチを共催することを発表したが、新日本&WCW連合軍は、その9日前の3月21日に同じ東京ドームで「91スターケードin闘強導夢」を開催することを発表。「スターケード」は、WCWにとってWWFの年間最大イベント「レッスルマニア」に相当するビッグイベントであり、それを日本で開催するということは、それだけ新日本との提携に力を入れている証。91年3月は東京ドームを舞台に日米の団体が威信をかけた大興行戦争を繰り広げることになったのである。
先発の新日本&WCW連合軍はNWA世界王者リック・フレアーとIWGP王者・藤波辰爾のダブル・タイトルマッチをメインに馳浩&佐々木健介にリック&スコットのスタイナーズが挑戦するIWGPタッグ戦、WCWのドル箱カードだったグレート・ムタVSスティング、ビッグバン・ベイダーとクラッシャー・バンバン・ビガロの新日本最強外国人コンビと初代WCWタッグ王者のブッチ・リード&ロン・シモンズのドゥームの外国人タッグ対抗戦などをラインナップ。
当時としては最高動員数6万4500人(超満員)を動員し、藤波がフレアーをグラウンド・コブラツイストでフォールして馬場に次ぐ日本人として2人目のNWA世界王者になったが‥‥乱闘に巻き込まれたWCWのメインレフェリーがダウン中に藤波にオーバー・ザ・トップロープの反則があり、それを見逃したサブレフェリーの服部がカウントを入れるなど不透明な王座移動劇に。フレアーがアメリカにベルトを持ち帰ったために物議を醸した。
当時はアメリカにこの事実は伝わらずに日本向けのタイトル移動劇とされたが、すべての情報がつまびらかになっている現在、藤波は第39代王者として王座変遷史に名を刻んでいる。
なお、SWS&WWF連合軍の「レッスル・フェストin東京ドーム」では天龍源一郎&ハルク・ホーガンVSアニマル&ホークのザ・ロード・ウォリアーズ(WWFでのチーム名はリージョン・オブ・ドゥーム)の夢のタッグマッチがメインだったが、天龍&ホーガンがリングアウト負けしたことでファンは落胆。また新日本より618人多い6万4618人という微妙な観客発表は反感を買った。
観客動員の数字はSWS&WWFが勝利したが、内容とイメージでは新日本&WCWの勝利だった。
勢いに乗る新日本は夏には名古屋・愛知県体育館と史上初となる両国国技館3連戦の全4戦のシングル・リーグ戦を開催。競馬の重賞レース「GⅠ」にならって名付けられた「G1クライマックス」は、現在も新日本の真夏の最強決定戦として日本プロレス界の風物詩になっている。
その第1回大会にエントリーされたのはAブロック=藤波、武藤敬司、ベイダー、スコット・ノートン、Bブロック=長州力、蝶野正洋、橋本真也、ビガロ。
優勝候補と目されたのは藤波と長州の2大巨頭だが、Aブロックでは武藤が首固めで藤波に初勝利。Bブロックでは蝶野がSTFで、橋本はフライング・ニールキックでそれぞれ長州に勝利する番狂わせ。
気づけばAブロックは武藤が首位、Bブロックは蝶野と橋本が同点首位となり、橋本を下した蝶野が優勝戦に進出。そして優勝戦は、三銃士の中で後塵を拝していた蝶野が武藤を撃破して劇的優勝を飾った。新時代を祝福するように両国国技館に飛び交う座布団‥‥遂に三銃士の時代が到来したのである。
小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。