1163年に着工が始まり1225年に完成した、パリのローマ・カトリック教会大聖堂「ノートルダム寺院」は、かのナポレオンの戴冠式が行われたことでも知られる、ゴシック建築を代表する建造物だ。
これが2019年4月15日夜に発生した大火災により、建物中央にそびえる約90メートルの尖塔が崩壊。屋根の3分の2が焼け落ちた。400人の消防士による消火活動によって、数時間後に火の勢いは収まったが、無残な瓦礫の山へと、その姿を変貌させることになってしまった。西洋史研究家が言う。
「聖堂内には歴史的美術品や文化財などが、数多く保管されていました。中でも聖遺物とされる『いばらの冠』は、イエスがゴルゴタの丘で十字架刑に処された際、その頭に被せられたものだと伝えられる、いわばキリスト教信者崇敬の対象だった。幸いにして、この『いばらの冠』と、13世紀のフランス国王ルイ9世が着用したチュニックほか数点は、消防隊によって運び出され、無事でしたが、相当数の歴史的価値のある美術品が灰になってしまったようです」
そんな焼け跡から見つかったのが、教会の床下20メートルに隠されていた、2つの石棺だった。誰がいつ、どのような理由で棺をそんな地下深くに隠したのか。
棺はさっそく、フランスのトゥールーズにある法医学研究所へと移され、フランス国立考古学研究機関「INRAP」が、棺の中身を分析。すると、うちひとつの棺に納められた遺体は、1710年に83歳で死去したアントワーヌ・ド・ラ・ポルトという高位聖職者であることが判明する。
もう一方の棺に納められていたのは、14世紀頃に30代で死去した男性の遺体だということはわかったものの、頭蓋骨が細長く変形。それが生まれながらなのか、あるいは人為的にそうなったのかについては、はっきりした結論に至らなかった。前出の西洋史研究家が、物騒な話を展開する。
「実はノートルダム寺院では焼失前から幽霊騒ぎがあとを絶たず、1882年には女性が寺院の塔から飛び降り自殺したり、1931年にはメキシコの作家が大聖堂の祭壇で、拳銃によって自ら命を絶ったのです。あるいは1937年、フランスの作曲家が大聖堂での演奏会の最中、突然死するという事故も起きている。それらの自殺や事故と、地下で見つかった『細長い頭蓋骨の男』との因果関係はわかっていません。ただ、地元住民の間では、閉じ込められたこの男の怨霊が大聖堂に住みつき、不吉な出来事を引き起こしているのではないか、という噂で持ちきりでした」
現在、ノートルダム寺院は年内完成を目指し、再建工事が続いているが、「細長い頭蓋骨の男」の正体は、今もってはっきりしない。
(ジョン・ドゥ)