球団の合併をきっかけに、永久欠番が解消されたケースがある。日本プロ野球歴代4位の317勝を記録し「草魂」と呼ばれた近鉄バファローズ(現オリックス)鈴木啓示の背番号「1」である。
育英高校から1965年にドラフト2位で入団。1年目の5月から先発投手陣の一角として起用され、このシーズンは10勝12敗を記録した。翌1967年から5年連続20勝を挙げて、エースとして君臨。1977年に200勝を達成、1984年5月5日の日本ハム戦で通算300勝を達成した、球史に残る大投手だ。
1985年7月9日、日本ハム戦(後楽園球場)でKOされると、翌日に現役引退を表明。功績を高く評価した球団は、その背番号「1」を7月31日付で永久欠番とすることを決定した。パ・リーグ初の永久欠番となったのである。
1993年に監督に就任した直後、ドラフト5位で入団した大島公一がアマチュア時代に付けていた背番号「1」を、永久欠番を承知で希望する事件があった。
だが2004年に近鉄とオリックスが合併。オリックスからは、背番号「1」をオリックスの永久欠番にすることを提案されたが、本人が辞退した。オリックス・バファローズでは、背番号「1」は永久欠番ではなくなったのである。
そのため新生オリックスでは、合併前から背番号「1」を付けていた後藤光尊が、継続して背負うことになった。
近鉄監督時代は当時のエース・野茂英雄らとの確執などもあり、1995年途中で退任した。その後、長年にわたり近鉄OB会長を務めていたが、近鉄OB会は2019年1月で閉会となっている。
現在、オリックスの背番号「1」は、外野手の福田周平が付けている。
(阿部勝彦)