野球界の永久欠番で変わりダネといえば、日本ハムの「100」がある。通常、永久欠番は球団に功績があった選手、または楽天の「10」のように、スターティングメンバーの9人に続く10人目という意味で、ファンナンバーのために空けられている場合がある。
だが日本ハムの場合は、まるで事情が違った。なにしろ、かつての球団オーナー、大社義規氏に与えられた番号なのである。
大手食品メーカー、日本ハムの創業者である大社氏は、広島カープのオーナーだった松田耕平氏と並ぶ、無類の野球好きとして知られた。
1973年に日拓ホームフライヤーズを買収。日本ハムファイターズのオーナーとなってからは新入団選手発表記者会見だけでなく、ドラフト会議にも出席した。試合観戦のため、日本ハムが本拠地にしていた後楽園球場や東京ドームを訪れ、グラウンドで選手を激励することもあった。仕事で球場に行けない日やビジターゲームでは、球場に日本ハム本社の社員を派遣して、試合経過を電話で報告させるほどだった。
1981年、日本ハムがリーグ優勝を果たした際には、背番号「100」のユニフォーム姿で参加。喜びを爆発させて選手から胴上げされる姿が、マスコミ各社によって報道された。
2005年に90歳で死去すると、本社のある大阪市北御堂で行われた葬儀では「ファイターズ賛歌」が流れ、チーム応援団が旗を振って送るなど、ファンにも愛された人物だった。
大社氏は生前の野球界への貢献が高く評価されて、2009年1月13日に、特別表彰で野球殿堂入りを果たした。それを記念して、球団は背番号「100」を永久欠番にすることを決めたのである。
長いプロ野球の歴史で、球団オーナーの永久欠番は大社氏ただひとりである。
(阿部勝彦)