日本サッカーが世界と渡り合えると初めて思うことができた、1999年の「FIFAワールドユース選手権」。日本は小野伸二、高原直泰、稲本潤一、遠藤保仁ら「黄金世代」を擁し、準優勝を飾った。日本代表が世界大会で決勝戦まで進んだのは、全世代を通じてこれが初めて。そんな大会の裏側を、ワールドユースで正GKを担った南雄太氏が、鈴木啓太氏のYouTubeチャンネルで明らかにした。南氏はこの大会について、
「最高に楽しい1カ月。サッカー人生の中でも1番、2番でした。本当にいい時間でした。今思い返すと、これが『勝つチーム』とか『一体感』というんだなと、初めて実感した大会」
そう振り返ると、結束力の高さを躍進の要因に挙げた。その中心にいたのが小野だったという。
「ナイジェリアで開催されたので、ホテルの外にほとんど出られない。『食事が終わったら何時集合ね』と言って、みんなで集まって、全員で『GTO』(反町隆史主演のドラマ)を見たりとか。一体感があって、みんなが仲良くて。伸二がキャプテンで、みんながリスペクトしていた」
日本は予選リーグ第1試合のカメルーン戦で負けるが、試合内容は圧倒。選手は悲観するどころか、むしろ自信を深めたといい、
「他の2チームが試合しているのを前半だけ見たんですけど『俺らの方が強いな』『優勝いけるっしょ』と(思った)。日本が世界大会に出て、本気で優勝目指すって口では言えますけど、本気で思うのは難しい。でも、思っていた。あと、伸二より上手いやつはマジでいないなと思った。他の試合を見ても。それが自分たちの中で大きかった」
やはり小野の存在に助けられと、感慨深く語ったのである。
しかし決勝では、0-4でスペインに敗れた。
「スペインだけは別格でした。想像のはるか上にいた。めちゃくちゃ強かった。シャビからボールが取れない。ただ、伸二が出ていたらわからなかった。ピッチに立っててほしかった。多分、全員が思っていた。伸二がいて負けたのならしょうがないと思えたけど、いなかったので『もしかして伸二がいたら』というのはうっすら思いました」
小野は累積警告で決勝戦には出られなかったが、もし出場していたら、日本サッカーは初のFIFA国際大会優勝を獲得していたかもしれないのだ。
(鈴木誠)