東京大学在学中に「バトントワラーズ」を創設してチアガールとして活躍し、卒業後は朝日新聞に入社。森喜朗元首相の番記者を担当し、1995年に政界入りする。永田町では常に赤い服をまとうことで「レッド松島」と呼ばれていたのが、自民党の松島みどり氏だ。
当選4回の松島氏が、第2次安倍改造内閣が掲げる「女性活躍」の旗印のもと、党内にいる60人あまりの「大臣適齢期男性議員」を尻目に、過去最多に並ぶ女性5閣僚のひとりとして入閣。法務大臣に抜擢されたのが2014年9月のことだった。
ところが9月3日に皇居での認証式を終え「大臣」の肩書を得た松島氏は、直後から問題行動を次々と起こす。政治部記者が当時を振り返る。
「官邸での記者会見後、大臣らは関係各所への挨拶回りがあり、初登庁はどうしても夜9時過ぎになってしまいます。夜なので当然、多くの職員が帰路についている。これに松島氏は『出迎えの職員が少ない』と激怒し、なんと議員会館へ引き返してしまった。その後、慌てた官僚たちが館内放送で、残業していた職員をかき集めて、出迎えのやり直しをしたそうです。まさに前代未聞、そんな話は聞いたことがありませんでした」
さらに、セダンタイプだった大臣車が気に入らないと、ワンボックスに変更。就任後の記者会見では傍らにいる官僚に「早くあのペーパー出して!」とドスを利かせて命じたかと思えば、使用が禁止される参院本会議場に堂々とストール着用で現れ、「これはストールではなくスカーフ」と言い張る…。全盛期の田中真紀子氏を彷彿させる言動が目立つようになる。
そんなことから、与党内からも「一大事をやらかして、足をすくわれなければいいが…」と心配の声が。
その終焉は、意外なほど早くやってきた。10月7日、参院予算委員会で民主党の蓮舫氏が、松島氏による選挙区でのうちわ配布を取り上げる。有権者にビラ以外のものを配るのは公職選挙法違反にあたるのではないかと、厳しく追及したのである。
蓮舫氏は地元の祭りで配ったとされる、似顔絵入りで「働きます 日本のため 下町のため」などと書かれたうちわを手にし、松島氏に迫る。
「これはうちわですよね」
すると、なんと答えたか。
「うちわと解釈されるなら、うちわとしてお使いいただければ。このうちわは…アッ、うちわのようなものに見えるかもしれませんが、これは議員の活動報告を印刷した配布物。討議資料(ビラ)の一種です」
実にアキレた弁明に終始したのだった。
蓮舫氏からは辞任要求が飛び出したが、どこ吹く風で辞める気などさらさらなし。だが、同時に登用された小渕優子経産相のスキャンダルが勃発すると、情勢は一気に悪化する。
これ以上の政権批判を恐れた安倍内閣により、本人が未練を残す中、松島氏の更迭が決まったのである。辞任会見は10月20日。入閣から2カ月も経たずしての「女難ドミノ」となった。
(山川敦司)