その痛ましい事故は、1972年12月29日に起こった。この日の夜、米ジョン・F・ケネディ国際空港を飛び立った「イースタン航空401便」(ロッキード L-1011 トライスター)は、13人の乗務員と乗客163人を乗せ、目的地のマイアミ国際空港へ向けて飛行していた。
ところがマイアミ国際空港への降下途中、計器にトラブルが発生。操縦士らが手遅れになる直前まで降下に気付かず、マイアミ空港から西に約19マイル(約31キロ)に位置するフロリダ州の湿地帯に墜落した。搭乗者176名中101名の命が失われたのである。
事故後の検証では機体の構造やエンジン、システムに故障や不具合は認められず、なぜ事故機が降下したのか、なぜ操縦士はそれに気づかなかったかなど不明な点が残り、機長の健康疾患も疑われた。最終報告書では、操縦士により適切に注意配分がなされなかったことが原因である可能性が高い、との見解が示された。
ところが事故後ほどなくすると、イースタン航空従業員の間で、耳を疑うような噂が囁かれ始めるようになる。それが、イースタン航空が所有する別のトライスター機内で「事故機の乗員の幽霊を見た」という証言だった。
ニュージャージー州のニューアーク空港で、マイアミ空港に向かう飛行機の離陸前に乗務員が機内を点検中、CAのひとりがファーストクラスに座る男性を発見。その男性がイースタン航空の機長の制服を着ていたため声をかけたものの、返事がない。不審に思ったCAは、すぐに操縦室にいる機長に報告した。
すると操縦室から出てきた機長はその男性の顔を見たとたん、言葉を失ったというのだ。
「なぜならその男性は、401便で殉職した機長だったからです。次の瞬間、その男性は忽然と消えてしまったのだと…。そんなことが別のトライスター機内でたびたび続いたそうなんです」(オカルト誌編集者)
この幽霊の噂は、イースタン航空社内であっという間に広がった。だがその後の社内調査で、真相はわからずじまい。すると一部社員らの間からは、「他のトライスター機に、墜落した事故機から回収した使用可能な部品を再利用しているためではないのか」と指摘が出たのである。
会社側はこの話を全面否定。結局、この一件は1976年に作家のジョン・G・フラーによって「The Ghost of Flight 401」というタイトルで書籍化され、1978年にテレビ映画化されることになる。アメリカでは50年以上が経過した今も、「航空機幽霊事件」として語り継がれている。
(ジョン・ドゥ)