「新たに最高顧問を創設した。麻生太郎君をお迎えしたい」
自民党は9月30日、石破茂新総裁率いる党執行部人事で、麻生太郎前副総裁の最高顧問就任を決めた。
麻生氏は首相だった15年前、石破氏に退陣を迫られて以降、両者は犬猿の仲。会合終了後に新執行部から集合写真撮影を求められるも、麻生氏が石破氏に一礼して辞退した。その溝の深さが改めて浮き彫りになったのである。
麻生内閣時代に農水相として入閣したものの、真っ先に麻生降ろしに動いたのが石破氏だった。常に家柄や格式を重視する麻生氏は、自民党を一度離党して新進党に加わり、復党した「出戻り組」の石破氏の言動がなにもかも気に障り、許せなかった。
ところが今回の総裁選で、高市早苗氏に乗った麻生氏の大博打が失敗に終わる。
「これで岸田文雄、菅偉義の両氏がキングメーカーとして君臨することが必至となりました。もともと生理的に嫌いな石破氏と笑顔で一緒に写真に収まることは、麻生氏にとって屈辱以外の何ものでもない。プライドが許さなかった、ということでしょう」(全国紙政治部記者)
周知のように、麻生家は高祖父が大久保利通、祖父が吉田茂、義父が鈴木善幸元首相、妹が皇族の寬仁親王妃信子という血脈を持つ、超セレブな家柄。そして地元福岡県では麻生一族が関わる「麻生財閥」を知らぬ者はいない。
そうした特権階級のサラブレッドであるという自意識により発せられた暴言は、枚挙にいとまがない。そんな麻生氏による「暴言の原点」として知られるのが1979年、衆議院選挙に初出馬した際に地元・福岡県の飯塚駅前で行った選挙演説。この時、麻生氏は39歳。集まった聴衆を前に開口一番、こう呼びかけた。
「下々の皆さん!」
このエピソードはその後も語り草になっているようで、2008年11月に放送された元自民党幹事長の野中広務氏と瀬戸内寂聴氏の「時事放談」でも、
「あまりに発言が問題になることばかりおっしゃるでしょ。軽率と言われても仕方ないですね。どうしてあんなにポコポコおっしゃるんでしょうね」
と首をかしげる瀬戸内氏に、野中氏が答える。
「やっぱり、お育ちですかね。苦労しないでずっときた人ですからね。選挙の第一声で『下々の皆さん』と、飯塚の駅で言われたといいますから。そういう感覚のまま、ずっと来ておられるんじゃないかなと」
さらに野中氏は作家・辛淑玉氏との対談本「差別と日本人」(角川書店)の中でも、麻生氏のこの失言を「彼は何の疑問もなしにそんなことを言う。不幸な人だ」と酷評している。
政界の暴言・失言王として君臨する麻生氏は、一部メディアによれば、骨抜きになった石破総裁を引きずり下ろすべく「高市、用意しとけ」と、次の総裁選での高市氏勝利に向けて動き出したのだと…。
(山川敦司)