2002年1月、日本プロレス界は大激震に見舞われた。1月15~19日に新日本プロレスの契約更改が行われたが、三冠ヘビー級&世界タッグ&IWGPタッグの6冠王者として新日本と全日本プロレスを股にかけて活躍していた、武藤敬司が18日午後の契約交渉の席で退団を表明したのだ。
さらに契約更改交渉スタート日の15日にはIWGPジュニア・ヘビー級王者のケンドー・カシン、18日の午前には小島聡も退団を申し出ていたことが判明。
契約期間は1月末日まであるため、3選手は退団後の進路については明言を避けたが、カシンは契約交渉前に週刊ゴングの取材を受けて「全日本でやりたい」と発言しており、武藤と小島も全日本に新天地を求めるのは明白だった。
さらに武藤ら3選手だけでなく、経理担当重役(管理部長)の青木謙治、マッチメーク委員会委員長の渡辺秀幸、ソフト事業部の武田有弘(現サイバーファイト取締役)、営業の神谷明徳(現・新日本広報)、デザイナーの矢部崇寛の5人も退社して武藤に追従することが明らかになった。
渡辺はのちに「それまでは猪木さんの意向に沿って格闘技指向っぽい、PRIDEもどきのプロレスをやろうとしていたというか‥‥やらされていたのが、日本武道館(01年6月8日)で武藤VS天龍(源一郎)の三冠戦を観た時に〝俺、こっちだな!〟って気付かされました。自分の中に〝こういうプロレスじゃなきゃダメだ〟っていうのが生まれました」と語っている。
全日本の馬場元子オーナーは「フリーになる2月1日以降、武藤さんたちのお話をうかがう用意はあります」と引き抜きを否定したものの、一連のアクションの黒幕とされたのは彼女の知恵袋的存在の馳浩だ。馳はBATTのメンバーとして武藤の作戦参謀だったし、カシンは全日本行きを希望する理由として「馳さんの力になりたいから」と語ったからだ。
この事態に新日本のある幹部が1月16日夜、全日本のエースの川田利明に接触して新日本への移籍話を持ち掛けるという、水面下の動きも明らかになって混沌。
1月25日にロサンゼルスから帰国したアントニオ猪木は「前々から言ってるように、全日本に手を貸して新日本に何のメリットがあるのかと。一番大事な心臓部(退社したフロント5人)をぶち抜かれるようなことでは、経営が成り立っていかない。馬場の母ちゃん(元子オーナー)がどうとかより、馳は国会議員としてもっとやるべきことがあるだろう」と怒りをあらわにし、藤波辰爾社長も「これは形を変えた引き抜きです。全日本との関係は白紙。徹底抗戦‥‥戦争します!」と、全日本との対抗戦を打ち切り、武藤は太陽ケアと保持していたIWGPタッグ王座、カシンはIWGPジュニア王座を2月1日付で返上した。
フリーになった3人は2月9日、後楽園ホールにおける全日本「エキサイト・シリーズ」開幕戦に出現。新日本退団以前に2.24日本武道館での川田との三冠防衛戦が決まっていた武藤は「武藤敬司、王道プロレスの本当の意味を探しにやってきました。まず川田!日本武道館、心して待ってろ」と挨拶。小島は「天龍選手に挑戦するために、今日、挨拶に来ました」と天龍戦をアピール。試合コスチュームで登場したカシンは「俺はいつでも試合ができるぜ。誰か相手はいないのか!?」と、いきなり全日本勢を挑発すると、名乗りを上げた宮本和志をわずか52秒で飛びつき腕ひしぎ十字固めに仕留めて実力をアピールした。
まずフリーという形を取ってから全日本入団、そして10月には武藤が全日本の社長に就任するという流れになるが、武藤は後年、こう語っている。
「動いたのはTPOがすべて揃ったからなんですよ。当時の新日本は格闘技ブームに感化されていたというか‥‥思想とか、やり方が俺と合わなくなったというかさ、18年間もいたけど居心地が悪い。同時に俺も40に差し掛かっていて、プロレスをあと何年できるか考えた場合に、とりあえず肉体が滅んでもプロレス界に携わっていれば生きていける自信はあった。そこには当然、野心もあるよね。そんな時にたまたま全日本という空き家があったんだよ。だから、全日本を貰うために行ったんだよ。単なる一レスラーだったら行かなかったよ」
武藤は全日本の社長になるという条件で全日本移籍を決断した。武藤の目から見て、全日本にはスター選手が少ないから、当時の新日本との路線には合わない純プロレス志向の小島を誘った。付き人の棚橋弘至も誘ったが、棚橋は「まだ自分は新日本で何も結果を出していないので」と固辞。カシンは武藤ルートではなく、新日本にスカウトしてくれた馳ルートでの移籍で、移籍後はコーチも務めることになっていた。
さらに武藤は経営者になることを見据え、猪木が心臓部と称したフロント5人を帯同したのである。
小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。