両者の間で引き返せない深い溝が広がったのは、12年の総裁選だとされる。
「この時は自民党が野党から与党に復帰する前の総裁選でしたが、石破さんはこの間、政調会長として奮闘し、政権復帰で非常に努力しました。一方の安倍さんは第1次政権時代の07年に、参院選で自公でも過半数に達しないという大敗北をした約2カ月後に、体調不良を理由に総理を辞し、『再起不能』などと言われてほとんど何もしていなかった。ところが総裁選では、1回目の投票で石破さんがトップになったものの、決選投票では安倍さんに敗れた。結局は党内闘争で敗れたわけですが、この時の石破さんのショックは大きかった。その時以来、石破さんにとって安倍さんが最大のライバルになったわけです」(鈴木氏)
その後、総裁選で次点につけた石破氏は幹事長に抜擢されたが、その2年後の第2次安倍政権での内閣改造で、新設の安全保障法制担当大臣の座を固辞。結局は同じく新設の地方創生担当大臣として入閣はしたが、安倍総理を激怒させたという。また長らく安倍政権を支えた麻生太郎最高顧問(84)の総理時代のこと。09年に衆院選で自民党が歴史的大敗北し、下野するに当たっては、石破農相(当時)が「麻生下ろし」に回ったため、「死んでも許さねえ」と激怒させたエピソードはあまりに有名な話だ。主流派の2人を敵に回したため、長らく冷や飯を食らわされたのも当然だった。
また、それ以外でも、両陣営は水と油の関係だったと安積氏が説明する。
「石破さんはもともと田中角栄系の人で、吉田茂の孫の麻生さんや、岸信介の孫の安倍さんとは『生い立ち』が違います。また86年初当選の石破さんと79年に初当選したものの、1回落選した麻生さんはほぼ同期と言えますが、93年に政界入りした安倍さんに対しては、『自分の方が政治をよく知っている』という意識があるのでしょう。ですが石破さんは93年に自民党を離党した〝出戻り〟です。自民党は純血主義の政党ですから、麻生さんや安倍さんには石破さんは『格下』となっていたのでしょう」
すでに自民党にとっては「自民過半数割れ」という厳しい選挙分析も出る中、今回の公認・非公認を巡る石破官邸と旧安倍派の「12年遺恨」が新たな火ダネを生むか、毎度の党内ガス抜きで終わるのか。詰むか詰まざるか、すべては選挙の結果次第だ。