中東シリアで奇跡的なことが起きた。11 月27日、同国北西部の狭いエリアだけに勢力があった反体制派部隊が奇襲作戦を開始、あっという間の快進撃で12月8日には首都ダマスカスを陥落させたのだ。
同国は約55年にわたってアサド父子が牛耳ってきた超独裁国家だ。11年に民主化運動が起こったが、それをアサド政権が弾圧したことから流血の紛争になり、それが現在まで続いてきた。つまり独裁政権VS反体制派の戦いは、もう13年以上になる。その間、戦局は、ロシア軍やイラン系民兵の支援を受けたアサド政権が優勢になった18年に、反体制派は同国北西部の狭いエリアに押し込まれ、以後ほぼ膠着していた。
それが今回、わずか12日間でアサド政権は崩壊した。しかも、戦闘自体はさほど激しいものになっていない。反体制派はアサド政権軍よりもはるかに少ない部隊だったが、機動的な戦いに圧倒されたアサド政権軍部隊が続々と逃走。それが雪崩現象となった。最終段階で独裁者のアサド大統領はロシアに逃亡し、首都も無血開城だった。
この鮮やかな作戦を実行したのは「シャーム解放機構」(HTS)というゲリラ部隊。このHTSについて、「シリアのアルカイダ」あるいは「アルカイダ系のイスラム過激派」という解説がNHKなど一部のメディアでなされているが、これは不正確である。個人的にシリアに知己が多い筆者は30年以上、同国の動向をウォッチしていて、シリアの反体制派についても長く研究している。では、彼らは何者なのか?
HTSの司令官はアブ・ムハマド・ジョラニ(本名はアハマド・シャラア)。1982年生まれの42歳である。生まれはサウジアラビアだが、幼少期にシリアに帰国している。03年のイラク戦争勃発直前、他の若者たちとともに志願兵となった。当時、シリアではイスラム系団体が「イスラムの敵である米国からイラクの人々を守ろう」と呼びかけ、多くの志願者をバスでイラクに送り込んでいた。ほとんどがイスラムの意識の強い若者たちで、ジハード(聖戦)を戦う気概に満ちていた。当時、ジョラニは20〜21歳で、そんな血気盛んな若者の1人だった。
なお、ジハードはテロとは違う概念で、当時の志願兵は世界のイスラム支配など考えておらず、自分たちをあくまで抵抗者で、人を助け、英雄的行動をする者と捉えていた。ジョラニも、そう考えていたのだろう。
ジョラニは反米グループ「イラクのアルカイダ」の戦闘員となった。だが、この組織は9.11テロを起こしたアルカイダではない。後の「IS」(イスラム国)の源流組織である。06年、米軍に逮捕され、約5年間を米軍の収容所で過ごす。11年に出所するが、その頃、故国シリアでは民主化デモと流血の弾圧が始まっていた。ジョラニはシリア人戦闘員の仲間たちと帰国し、反政府武装闘争を始める。この時、「イラクのアルカイダ」の後継組織である「イラクのイスラム国」から資金援助を得ている。
翌12年、ジョラニたちは正式に「ヌスラ戦線」を創設。独自の武装闘争で台頭した。ところが翌13年、ヌスラ戦線の急成長を見た「イラクのイスラム国」トップのアブ・バクル・バグダディがヌスラ戦線を吸収して「イラクとシャームのイスラム国」(IS)を創設しようとした。ISはバグダディをトップに独自のイスラム国家を作り、それを世界に広げることを掲げた組織だが、そんなバグダディの野心よりも、あくまでシリアでのアサド打倒を優先したいジョラニは拒否する。バグダディとジョラニが敵対した形だが、ジョラニは自派の分裂や引き抜きを抑え、バグダディに対抗するために、アルカイダのトップであるアイマン・ザワヒリと接触する。バグダディとザワヒリはイスラム過激派界での主導権をめぐって敵対関係にあったため、ザワヒリは連携申し出を歓迎。ジョラニはヌスラ戦線を公式にアルカイダ傘下組織と発表した。
HTSが元アルカイダ系だったというのは、このことを指す。ただし、別にアルカイダから資金や武器や指導者が来たわけでもなく、組織の運営、戦術方針もジョラニたち自身で決めていたことには変わりない。いわばハク付けの名義借りのようなものだ。
ただし、アルカイダが欧米キリスト教徒の中東イスラム圏支配への抵抗を掲げるのに対し、ジョラニらはあくまでアサド打倒が最優先だ。やはり目指すところは違う。さらに、シリア北東部では14年に台頭したISが斬首や女性奴隷化などのむちゃくちゃなことをやり始めた。ジョラニたちはもともとISとは敵対関係にあったが、自分たちもあまりイスラムを強調しすぎると、シリアの人々にIS同様に見られ、嫌われると気づいた形跡がある。
16年、ジョラニはアルカイダとの関係を断つことを発表し、他の組織に改編。他のグループと合併するなどして翌17年にHTSを作った。したがって、彼らは11年から今日まで13年以上もシリアで戦っているが、アルカイダの名義借りをしていたのは初期の3年間だけ。「元アルカイダ系」は事実だが、実情はその程度なのだ。彼らは一貫してアサド打倒を優先しており、イスラム色は強いが、どちらかというと地元のレジスタンスに実態は近い。
その後、ジョラニたちHTS指導部は、穏健化をアピールしてきた。仲間内の過激派を排除し、穏健派を取り込んで組織を拡大した。排除されたアルカイダ信奉者たちは別組織を作っているが、HTSとは敵対関係にある。HTSは「シリアのアルカイダ」ではなく、「シリアのアルカイダと敵対する組織」なのだ。
前述したように、シリアの反体制派は18年に北西部に押し込まれた。当時の反体制派は約7万人で、うちHTSは約2万人。現在は約3万人だが、反体制派全体がかなり減少しているので、19年頃には同エリアの主導権を握った。その後も彼らは穏健アピールのイメチェンを継続してきた。ジョラニはCNNのインタビューで語っている。
「若い頃は若い頃の考えがあったけど、人は年齢を重ねると、いろいろ変わるよね。あ、自分はテロはやってないけどね」
いきなりシリアの最強司令官となったジョラニが今後、どう変わるのか、変わらないのか、注目である。
黒井文太郎(くろい・ぶんたろう)1963年福島県生まれ。大学卒業後、講談社、月刊「軍事研究」特約記者、「ワールドインテリジェンス」編集長を経て軍事ジャーナリストに。近著は「工作・謀略の国際政治」(ワニブックス)