「今年こそは優勝し、日本一に向けて頑張っていただきたいと、選手諸君にはお願いいたします」
今年3月に行われた「第32回燦燦会総会」の檀上で、渡辺恒雄氏はそう語り、巨人ナインを鼓舞していた。日本一は逃したものの、「言いつけ」を守ってリーグ優勝を果たした巨人だったが、その言葉の主は世を去った。
読売新聞グループ本社代表取締役主筆で、巨人のオ-ナー、読売ジャイアンツ取締役最高顧問などを歴任した大物が肺炎のため、12月19日未明に98歳で死去したのだ。
「燦燦会」で渡辺氏の発言を神妙な面持ちで聞いていた阿部慎之助監督はこの時、こう答えている。
「主筆も言われました通り、皆さまには残念な思いをさせっぱなしで、本当に心苦しく思っています。日本一をもぎ取って、みなさんで盛大にお祝いしていただけることを、僕の挨拶として代えさせていただきます」
クライマックスシリーズ・ファーストステージ前日の10月11日に行われた「セ・リーグ優勝祝賀会」では「日本一奪回に向け、声援をお願いします」という渡辺氏からのメッセージが読み上げられた。この日、渡辺氏は体調不良のため祝賀会に姿を見せることはなかったが、日本一に対する強いこだわりは終始、変わることはなかった。
思えば渡辺氏の日本一にかける思いは、かなりのものだった。1995年6月には巨人の不甲斐ない試合に激高。
「話にならん。全員、1割減俸だ。クソ食らえだ。ふざけんな! 相撲部屋に連れて行って稽古させないとな」
一方で2000年に自身がオーナーになって初めて巨人がセ・リーグ優勝すると、
「男が泣くチャンスは一生に一度か二度だけ。それにしても、長嶋というのはメークドラマな男だ。ドラマチックすぎる」
そう言うと、目に涙を浮かべたのである。
巨人の歴史はいわば、渡辺氏の歴史でもある。その発言がメディアで大きく取り上げられ、世間の猛反発を食らうことは多かったが、良くも悪くもこれだけ日本のプロ野球界に貢献した人物はいないだろう。
奇しくも巨人の球団創立90周年の年に亡くなった渡辺氏。来季は雲の上から「日本一に向けて頑張れ」と、巨人にハッパをかけていることだろう。
(ケン高田)