政治

“全世界からタブー視される”国際ニュースに潜む怪人列伝〈「殺人狂ファミリー」アサド家の人々〉

 中東シリアのアサド独裁政権が12月8日に崩壊した。今は”前”大統領になったバッシャール・アサドの政権は24年間続いた。ただし、独裁体制の創始者は父のハーフェズ・アサドで、北朝鮮のような独裁世襲が、この父子によって実に54年にも及んだ。

 独裁政権は最終段階で、首都防衛部隊がほとんど抵抗せずに投降し、ダマスカスは無血開城となったが、その直前にバッシャールは密かにロシア軍基地から国外に逃亡。現在はロシアに亡命している。その最後の日、彼は部下の軍司令官たちに徹底抗戦を命令。その後、側近にも告げずにこっそり自分だけ逃亡した。なんという無様な独裁者だ。

 もっとも、バッシャールは大統領の器ではなかった。独裁の跡取りとして帝王教育を受けていた兄が死亡したため、仕方なく父アサドが次男のバッシャールを後継者にしたのだ。この父アサドとその息子たち、つまりアサド・ファミリーの迷走が、そのままシリアの人々を50年以上も苦しめてきたのだ。

 とにかく、父アサドが魑魅魍魎が跋扈する中東アラブ圏でも、頭抜けた冷酷な強権支配者だった。もともとソ連で訓練を受けた空軍の戦闘機乗りで、空軍司令官から国防相になり、クーデターで独裁者になった。独裁を確立するため多くのライバルを殺害したが、彼がアラブ圏の独裁者でも突出していたのは、数十もの秘密警察組織を作り、完全な国民監視社会を作ったことだ。ちなみに筆者の元妻はシリア人だが、婚姻時には秘密警察の長期の調査を受けた。筆者は中東各国に渡航歴があり、怪しまれたようだが、「世界各地の美しい風景を撮影している人畜無害なカメラマン」ということにして乗り切った。

 そんな恐ろしい独裁者の父アサドだったが、実は言うことをきかない存在が1人だけいた。実弟のリファアト・アサドで、兄の威光で軍精鋭部隊司令官になっていたが、粗暴な性格で住民を弾圧するのに町をまるごと破壊するようなことを平気で行った。このリファアトは勝手に軍を私兵として動かすので、兄アサドとたびたび衝突し、そのたびに母親が仲裁するような有様だった。一時は首都の正面で、両軍の戦車部隊が睨み合うことさえあった。

 そうした兄弟の確執を自ら経験していた父アサドは、息子たちが争わぬよう手を打った。長男・バシルには軍人として帝王学を仕込み、宣伝機関を総動員して「イケメンのヒーロー」のイメージを拡散した。逆に次男・バッシャールはおとなしい素朴な性格とのイメージを拡散し、イギリスに留学させて医学を学ばせた。兄は独裁権力の後継者、弟は欧州住まいの眼科医と、道を分けたのである。

 ところが、この長男が94年、スポーツカーでスピードを出しすぎて事故死してしまう。そこで次男がシリアに呼び戻され、独裁者の後継者になったのだ。この時、バッシャールは29 歳。眼科医だったのが、突如として軍高官に就任。00年の父の急死により35歳で大統領になった。

 独裁者としてほとんど準備できてないバッシャールを支えたのが、義兄のアーシフ・シャウカトという男だった。若い頃にバッシャールの姉と駆け落ち結婚した軍人で、最初はアサド家を出禁になっていたが、姉思いのバッシャールのとりなしで父アサドと和解し、アサド家の一員として軍事情報部長になっていた。バッシャールに借りがあることから、このシャウカトが軍事情報部を総動員し、実力派の古参軍幹部を更迭するなどして独裁を守った。

 バッシャール政権では、他にあと2人の実力者がいた。1人は母方の従兄弟のラミ・マフルーフという男で、彼はアサド家のコネで国内事業を独占した大富豪だった。11年に民主化要求運動が沸き起こった時、人々の武器は携帯電話だったため、アサド政権内では回線ネットワークの一時切断を検討した。が、通信ビジネスで荒稼ぎしていたマフルーフが反対したと言われている。

 もう1人の実力者は実弟のマーヘル・アサド。若い時から粗暴なことで有名で、父アサドから警戒されるほどだったが、軍人となり、最精鋭部隊「共和国防衛隊」「第4機甲師団」の司令官となった。

 前述の民主化運動が起きた時、国民の弾圧を指揮したのはシャウカト(国防副大臣になっていた)とマーヘル・アサドだった。この2人が軍や治安部隊のほぼ全権を握っており、バッシャールは2人に言われるがまま、軍への国民殺戮命令書にサインし続けた。

 しかし、民主化運動への流血の弾圧が拡大した翌12年、シャウカトは自爆攻撃で殺害される。以後は主にバッシャールとマーヘルの兄弟で国民殺戮を継続した。初期は粗暴な性格のマーヘルが主導したが、バッシャールも徐々に慣れてきて、やがて率先して殺戮指令を出しまくるようになった。かつてはおとなしい性格だったバッシャールの、まさかの殺戮王への変身である。

 いずれにせよ、13年間で60万人以上が殺害されたシリア紛争の責任は、バッシャールとマーヘルのアサド兄弟にある。報道では、どうしても大統領のバッシャールばかりが目立つが、21世紀最悪の大虐殺の主犯は、この2人の極悪人なのだ。ちなみに、シリアでは国家経済を凌ぐ規模で合成麻薬カプタゴンの密造・密売が盛んだが、その裏ビジネスの大元締めはマーヘルである。

 一族の殺戮王は他にも多い。たとえば同国西海岸地方にアサド一族のルーツがあるが、同地でアサド政権側の犯罪者集団「シャビーハ」幹部に、バッシャールの従兄弟やその息子たちが多くいる。彼らはどんな無法行為も許されるため、あらゆる非道な犯罪をやりまくっていた。

 今回の政変でアサド一族の運命はようやく断たれた。兄バッシャールと同じく、弟マーヘルも最終段階で国外に脱出。今ではロシアに亡命したようだ。どれだけ多くのシリアの人々が、この兄弟が裁判を受けて極刑に処されることを望んでいるか想像に難くない。しかし、天文学的数字にのぼる隠し資産とカプタゴン密売の利権を持っているアサド兄弟は、おそらくこのままロシアで悠々自適に暮らすのではないか。

 どんな正義も現在のロシアでは通用しそうもない。

黒井文太郎(くろい・ぶんたろう)1963年福島県生まれ。大学卒業後、講談社、月刊「軍事研究」特約記者、「ワールドインテリジェンス」編集長を経て軍事ジャーナリストに。近著は「工作・謀略の国際政治」(ワニブックス)

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