1月26日、韓国の尹錫悦大統領が起訴された。内乱首謀罪である。韓国では職務引退後の元大統領が汚職で訴追されるのはよくあるが、現職の大統領が逮捕・起訴されたのは初の事態だった。
発端からしても、前代未聞の出来事だった。内戦中でもない民主国家で、なんといきなり大統領が戒厳令を出すという珍事が起きたのだ。同国では22年に保守系の元検察総長・尹錫悦が大統領になったが、支持率が低迷。24年4月の韓国総選挙では与党が約3分の1、野党勢力が約3分の2となり、政権運営がまともにできない状況に陥っていた。同年11月の世論調査では、尹政権の支持率はわずか17%。大統領退陣を望む率は58%にも達していた。
そんな中、尹大統領が突然、非常戒厳(戒厳令)を宣言したのは24年12月3日夜だった。北朝鮮の策動に乗せられた野党が反国家活動をしていることに対処するためという、まさに妄想そのものの理屈で、軍に野党指導者の逮捕や国会・選挙管理委員会庁舎制圧などを命じたのだ。
これに対し、野党および与党内の反尹派が当日深夜に国会に集結。国会を制圧しようとする軍と、それを阻止しようとする多数の野党支持者が睨み合う事態となった。結局、国会で戒厳令の解除要求決議を採択。大統領もそれを受けて、翌日未明に解除した。尹大統領は12月14日に国会で弾劾訴追案が可決され、大統領の職務が停止された。その後、高位公職者犯罪捜査処、警察、国防部による合同捜査本部が、尹大統領を内乱容疑と職権乱用容疑で逮捕状を請求。裁判所が発付したため、1月3日、高位公職者犯罪捜査処の捜査員たちが大統領公邸に向かったが、大統領警護処長が逮捕執行を拒否。公邸で政府の高位公職者犯罪捜査処と、大統領警護処とその指揮下の陸軍首都防衛司令部第55警備団が対峙するという内戦まがいの異常事態になった。
結局、尹大統領はその時は逮捕を逃れたものの、合法的な命令を大統領警護処が拒否できるはずもなく、1月15日、尹大統領は身柄を拘束された。その後、19日に内乱首謀罪で逮捕状が執行され、同23日に送検。同26日に起訴された。
いくら支持率が低迷して政治生命が危ういからといって、野党を「北朝鮮の手先」などと濡れ衣を着せてのいきなりの戒厳令である。ただし、これは尹大統領ひとりのアイデアではなかった。中には大統領にこのプランを提案した人物までいたのだ。
今回の戒厳令に関わったキーマンたちを紹介してみよう。
▽金龍顕国防部長(当時)
今回の戒厳騒動の黒幕的人物。尹大統領とは高校の同窓で、1年先輩にあたる。軍のエリート出身で、首都防衛司令部司令官、合同参謀本部作戦本部長を歴任したが、反北朝鮮の意識が強く、文在寅政権時にリベラル色の強い政権に疎まれたようで、中将で退役。しかし、尹政権誕生によって大統領警護処長として表舞台に復活。24年9月より国防部長(国防相)に抜擢されていた。
今回の戒厳令の発令は、金氏が大統領に進言したもの。職権上、軍の上に立つ立場をフルに使い、軍高官たちに対しても「自分が全責任を持つ」と断言して説得した。国会で解除要求が可決されて尹大統領が撤回した12月4日に責任をとって辞任を表明。翌日、受理された。12月8日、身柄を拘束。その後、内乱参加の容疑(内乱首謀容疑は尹大統領)で逮捕状が執行される。同10日に拘置所で首つり自殺を図ったが、未遂。
▽朴安洙 戒厳司令部司令官(当時)
韓国陸軍のエリート将官。陸軍本部情報作戦参謀部作戦課長、第8軍団参謀長、陸軍作戦司令部作戦計画処長などを経て、23年9月に韓国陸軍トップの陸軍参謀総長に就任した。特に政治的な背景はない人物だが、尹大統領の非常戒厳の発令に際して、戒厳司令部司令官に任命され、右記の金龍顕・国防部長の指示どおりに国会への軍派遣や選挙管理委員会庁舎への部隊投入を命令した。非常戒厳の撤回後に辞任を申し出るが、12月12日に職務停止、同17日に内乱参加と職権乱用の容疑で逮捕された。
▽朴鍾俊・大統領警護処長
もともとエリート警察官僚で、朴槿恵政権時代には大統領警護室(現・大統領警護処)の次長を務めた。韓国政官界では保守系の人脈になる。24年9月、当時の金龍顕処長が国防処長に転出した際に、後任の大統領警護処長に抜擢された。
1月3日、高位公職者犯罪捜査処が尹大統領を拘束するために公邸に赴いた際に、拘束執行を拒否。指揮下の部隊で尹大統領を守る決断をした。その後、再三、公務執行妨害の疑いで出頭命令を受けるが拒否。1月10日、ついに出頭した。
▽金声勲・大統領警護処次長(警護処長代行)
前述した1月3日の大統領公邸での尹大統領拘束阻止は、朴鍾俊大統領警護処長というより、金声勲大統領警護処次長が主導した。朴鍾俊が警察エリート官僚で長いブランクの後に警護処長になったのに対し、大統領警護処のプロパーで組織内実力者だった次長の金声勲が、むしろ今回の拘束阻止では大きな役割を果たしたとみられる。もともと尹大統領への忠誠心が高い人物だったようだ。
金声勲は朴鍾俊の出頭後、警護処長代行に就任するも、やはり再三、出頭を命じられた。しかし、断固拒否したため、1月15日に公務執行妨害容疑で身柄を拘束されている─。
以上が、今回の戒厳令騒動で際どい役割を果たした人物だが、他にも拘束者は何人もいる。たとえば、戒厳令時に国会封鎖を指示した全国警察トップの趙志浩・警察庁長とソウル警察庁トップの金峰埴・同庁長。その警察組織全体を所管する李祥敏・行政安全部長官。呂寅兄・国軍防諜司令官。国会に部隊を投入した郭種根・陸軍特殊戦司令官と李鎮雨・首都防衛司令部司令官。選挙管理委員会庁舎を急襲した国防情報司令部の文相虎・現司令官と盧尚元・元司令官(この人物は金龍顕・国防部長と親しい)などである。
さらにもう1人、直接的に戒厳令に関与したわけではないが、今回の事件の原因の一つだったかもしれないとみられる人物がいる。大統領夫人の金建希だ。彼女はインサイダー取引や収賄疑惑で追及を受けており、夫の尹大統領にはなんとか妻を守りたいという動機もあったのかもしれない。
韓流ドラマのような憶測だが、そもそも戒厳令自体が映画みたいな荒唐無稽な話である。
黒井文太郎(くろい・ぶんたろう)1963年福島県生まれ。大学卒業後、講談社、月刊「軍事研究」特約記者、「ワールドインテリジェンス」編集長を経て軍事ジャーナリストに。近著は「工作・謀略の国際政治」(ワニブックス)