2020年サッカーW杯カタール大会で正GKとして活躍し、ベスト16進出の立役者となった権田修一が、前園真聖氏のYouTubeチャンネルで自身のサッカー人生を振り返っている。これがまたなんともいえない話で…。
権田はユース世代から日本代表に選ばれ、2012年ロンドン五輪でベスト4入りに貢献。所属するFC東京でも高校生でトップチームに昇格するなど、若くして成功したイメージが強い。しかし本人は、まったく逆だと訴えたのである。
「ケガが昔は多かった。背が急に伸びてめちゃくちゃ細かった。体ができていなかった。それにレベルの高いところに早い段階から入れてもらっていたので、ついていくのに苦労した」
2009年にはプロ3年目にしてJリーグ初出場を飾るが、忘れてしまいたいと思うほど、苦いものになった。
「開幕戦で新潟に4点取られて、2戦目は浦和レッズに3点取られた。その間に確か、ルヴァンカップもあったんですけど、柏レイソルに負けた。FC東京は前の年が5位で、この年は城福浩監督の2年目ということで、もっと上にいこうとなっていたのに…。この年は正直、めちゃくちゃきつかった」
しかもデビューには、こんな裏事情があった。
「シーズンが始まる前は、スタメンの予定ではなかった。塩田仁史さんがスタメンで、僕は2番目。キャンプで塩田さんが盲腸になった。よく『若い時から試合に出ててすごいね』って言われるんですけど、自分の力で掴んだんじゃない。塩田さんが盲腸にならなかったら、僕はデビュー戦に出ていなかった」
代表デビューの時も幸運を発揮した。2009年に行われたアジアカップ最終予選のイエメン戦でのこと。
「この試合はA代表の選手は行かず、若手の代表だけで行った。その年に成績がよかった選手が集められた。まさかの西川周作くんが打撲して、試合に出られない。僕が試合に出ることになった。A代表デビューって言っていいのかな、っていう試合」
幸運を味方につけて、W杯カタール大会の正GKにまで上り詰めた。昨シーズンいっぱいで清水エスパルスとの契約を満了し、現在は海外を目指してフリーとなっているが、運のよさで新天地を掴み取ることだろう。
(鈴木誠)