「真面目」「実直」を絵にかいたような風貌…そんな表現がまさにピッタリくる。そんな人物が、神奈川県大和市の堀合研二郎市議だ。彼が語り出したのは、生きることの辛さとずっと格闘しているような半生だった。
「最初は小学5年生の頃で、塾通いをして、夜遅くまで勉強していたら朝起きられなくなって、そのまま不登校が始まってしまったのです」
中学時代はずっと欠席。その代わり、フリースクールに通って勉強は続けたものの、高校は一般の学校では無理なので、アメリカンスクールを選んだ。これまた1年の1学期で不登校に。予備校に通って大検をパスし、受験勉強の末、早稲田大学に進学した。
ところがその3年目の春に、異変が起きてしまった。
「急に不眠になり、世の中が全て終わってしまうような終末感に襲われたり、なんらかの勢力に自分が攻撃されているような妄想が膨らんでしまったり。それで家を飛び出して、大声を出しながら外の路上を走り回ったんです」
警察が駆けつけて取り押さえられ、当然のように病院の精神科に連れていかれた。病名は「統合失調症」だった。
2カ月の入院。退院してからも2年間は薬を服用しつつ、家に引きこもる。その後は元気を取り戻したと思って薬の服用をやめたら再発…を繰り返し、ようやく社会復帰を果たしたのが2016年、36歳の時だった。自身も通っていた、主に精神障害の人たちの、横浜の支援施設に「職員」として採用されたのだ。
「その施設が、もともとの利用者を採用する方針だったんですね。それで支援のためのイベントを企画したり、様々な活動をするうち、それがテレビや新聞でも報道されて、政治家の皆さんと顔見知りになっていったんです」
2019年の統一地方選ではとある政治家から「横浜市議選に立たないか」と誘いを受けた。
この時は丁重に断りを入れた。まだ施設での仕事を辞めるつもりがなかったし、施設関係者から慰留されたためだ。
が、症状が安定し、再発の危険性がなくなったところで、まだまだ十分とは言えない障害者支援政策をより充実させるため、自ら立ち上がるべきだと考えるようになった。
「とにかく助成金が少なすぎる。支援施設職員の待遇向上など、その分野ではやることが山積しているんです。これ<は県や国だけでなく、市でも予算がつけられます」
精神科の病院での身体拘束や隔離をはじめとした入所者の処遇の問題などは、さすがに市では扱いが難しい話だが、市内の病院から変えていくように提案はできる。
政治に関わるとなったら、まずは勉強していきたい。そこで職場の元同僚のツテを頼って、神奈川県大和市を選挙区に持つ立憲民主党衆院議員の秘書として働くことにした。
2023年の市議選に立つにあたっては、自身が精神障害者であることを明言した。
「そんな病人が議員になって大丈夫か、とはあまり言われませんでした。それより『お前は障害を選挙に利用している』とはよく言われました。反論はしますよ。自分は『センセイ』になりたくて立候補するんじゃなくて、少しでも障害を持った人間が生きやすいようにしたいだけなんだ、って」
この「障害者支援」を柱に選挙戦を戦い、見事に当選。しかしながら、議員になって2年たっても、なかなか事態は改善しない。
「医療費の助成金アップを議会で提案しても、市側は『検討する』ばかりで、なかなか実現しない。長期戦を覚悟するしかありません」
今でも生きることの辛さとの格闘は続いているようだ。
(山中伊知郎/コラムニスト)