現在放送中のNHK大河ドラマの登場人物に、鳥山検校がいる。高利貸しで財を成し、小芝風花演じる花魁・瀬川を400両、現在の価値にして約1億4000万円で身請けしたが、あまりの過酷な取り立てが江戸幕府の逆鱗に触れ、安永7年(1778年)に処罰された悪名高い人物だ。
だが室町時代以降、盲官の最高位として定着した検校には、優れた人物が多い。そのひとりが、出色の鍼施術で江戸幕府5代将軍の徳川綱吉も治療した杉山和一である。
和一は慶長15年(1610年)、伊勢安濃津(現在の三重県津市)に生まれた鍼灸師で、針を管に通して打つ管鍼法の創始者である。幼少期に伝染病を患い、失明。17歳で江戸に出て、検校で鍼医の山瀬琢一に弟子入りしたが、生まれつき愚鈍な上に不器用さがたたり、22歳で破門された過去を持つ。
和一の人生が激変したのは、決死の覚悟で江の島弁天の岩屋にこもり、断食修行を行ったのがきっかけだった。なんと最終日に、石につまずいて転倒。その際に、足に刺さった松葉が筒状の椎の葉に包まれていたことから、管鍼法をひらめいたという。
その後、京都で入江豊明に弟子入りして修行に励んだのち、江戸の地で開業して評判となり、「鍼の名人」と呼ばれるようになった。
名声を聞いた時の将軍・綱吉に召し出された和一は、たびたび鍼施術を行うようになったことから、支援を受けるように。61歳で検校になり、72歳で綱吉の鍼治振興令を受けて、鍼・按摩技術の取得を主眼とした、世界初の聴覚障害者教育施設といわれる「杉山流鍼治導引稽古所」を開設。綱吉から2700坪もある本所一ツ目の「惣禄屋敷」を贈られるまでになった。
年老いても「管鍼法」考案のきっかけをくれた江ノ島詣を毎月欠かさなかった和一のため、綱吉は敷地内に江の島弁財天を分社して祀らせている。
真偽は定かではないが、「本所一ツ目」という土地をプレゼントされたのは、綱吉が治療の礼に「何がほしいか」と訪ねた際、和一が「目がほしいです」と返答したため「一ツ目」という地名を持つ土地になった、というエピソードが残っている。
(道嶋慶)