「何があっても休場しない」
場所前、新横綱としての覚悟を力強い言葉で誓っていた豊昇龍があっさりと前言を翻し、春場所10日目の3月18日から休場となった。
「気持ちが切れた。厳しいね」
八角理事長にそう指摘された9日目の相撲は、確かに横綱に相応しいものではなかった。相手は結びで相撲を取るのが初めてという、平幕の一山本。初顔合わせの相手の突進を許して中に入られると、強引な掛け投げを失敗し、体勢を崩したところにすくい投げを食らう形で土俵外にひっくり返された。
あまりにもあっけない、なんとも無様な取り口。
「負けが込むと歯止めが利かなくなる、精神面の弱さを露呈しましたね」(相撲ライター)
新横綱として3つめの金星配給は、1964年(昭和39年)春場所の栃ノ海以来、61年ぶりの不名誉な記録だ。
「思い起こせば双羽黒も豊昇龍と同じ立浪部屋で、横綱昇進には異論が出ていた。これも因縁ですね」(前出・相撲ライター)
大関・北尾は1986年の夏場所、千秋楽に横綱・千代の富士との相星決戦に敗れて12勝3敗の優勝次点。翌名古屋場所は全勝の千代の富士を千秋楽に下して追いつくも、優勝決定戦で敗れて初優勝を逃した。
二場所とも優勝次点で、確かに横綱審議委員会の内規にある「優勝に準ずる成績」ではあったが、一度も優勝経験がないことや「心技体」の「心」が伴わないという反対意見が飛び出した。45分に及ぶ審議の末に賛成6、反対1で横綱への推薦が決まり、横綱・双羽黒が誕生した。
相撲部屋関係者が振り返る。
「当時は千代の富士がひとり横綱で、大関は北尾も含めて5人もいた。協会としては、早く千代の富士のライバルを作って盛り上げたかったのでは。今回の豊昇龍と同じく、協会の都合が優先されたのでしょう」
新横綱の場所、双羽黒は6日目までに3敗を喫すると、7日目から休場。翌1987年年末にちゃんこの味付けで師匠と口論になると、仲裁に入った女将を突き飛ばす暴挙に出て、そのまま廃業に追い込まれた。
懸念されていた「心」の未熟な部分が出てしまった形で、大器と期待されながら、横綱在位は8場所。優勝経験がないまま、わずか24歳での廃業はあまりにも惜しかった。
立浪部屋の後輩横綱・豊昇龍はこれから、どんな相撲人生を送るのか。
(石見剣)