「ベンチがアホやから、野球がでけへん」─。81年8月26日の対ヤクルト戦。阪神の江本孟紀は、当時、監督だった中西太氏を批判。その責任を取って同シーズン限りでユニホームを脱いだが、今でも球史に残る“舌禍事件”とされている。だが、発言の主である江本によれば、この発言の真意は79年にまで遡る必要があると言う。江本本人が、前代未聞の大騒動の“闇”の真実を初めて語り尽くした。
今でも“造反者”扱いされる
「あの日のことを聞かれれば、状況は全てはっきりとしていることだから、こちらも話してきたんだけど、なかなか真意が伝わらない。いくら説明しても違うふうに書かれてしまう(苦笑)。今でも大阪には、フロント批判で辞めた、“造反者”のように誤解されている方もいますからね」
81年8月26日、江本孟紀(65)は先発投手としてホームグラウンドの甲子園球場のマウンドに立った。対戦相手はヤクルト。7回まで3安打1失点の好投を続けていた。
ところが8回になり、130球以上を投げていた江本は2点を奪われて1点差のピンチに。なお一死二塁、マウンドに内野陣が集まった。江本が振り返る。
「普通なら投手交代のケースでしょう。ここでベンチが采配を振るもの。それが監督の仕事ですよ。集まってきた選手たちも、『ベンチはどうなんや?』という表情で見ていると、(中西太)監督はベンチの奥へ消えてしまう。こんなことは初めてだったんで、『オイオイ、何じゃこれ?』と、みんなビックリでしたよ。
一瞬、困ったけど、とりあえず高めに1球外して様子を見よう。次はベンチも采配に出てくるだろうと‥‥」
中腰で構えるキャッチャーの姿から、誰の目にも敬遠と思われたシーン。ところが、次の瞬間、打者はそのウエストボールに飛びつき、強引に捉えた。すると打球は外野に‥‥。慌てて追うもののグラブに当ててポロリ。まさかの同点タイムリーとなってしまったのだ。
「(過去の記事の中には)ここで監督がやっと重い腰を上げたなんて記述も残っているが、それでも出てこなかった。(8回を)投げ切りましたよ」
熱投もむなしく、その裏に代打を送られ、お役御免になった江本は、ロッカールームに入る直前、球史に残る“あの言葉”を吐く。
「ベンチがアホやから野球がでけへん!」
しかし、この言葉もマスコミ側の都合のいいコピーだった。
「(負け試合ともなれば選手は)ワーワー言いながら戻るもんですよ。あの日も、たぶん、『アホちゃうか、ベンチは! 何、考えとるんや!』とでも、言っていたんだと思います。それをキャップクラスに『ちょっと見て来いや』と指示された(若手の)田所(記者)が聞いて、『何か、ベンチがアホって言ってたみたいです』と報告したんでしょう。関西得意のコピーを作り上げ、記者席に(記事として)回したんでしょうね」
当時、サンケイスポーツのトラ番だった田所龍一記者は、この“独り言”を唯一、生で聞いていたのだった。
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