一昨年、相撲界を騒がせた野球賭博─。勝負師の世界に身を置く力士は総じて博打好きだ。それだけに、人気力士の中にも連座する力士が相次いだ。大嶽親方と大関琴光喜だけが見せしめのように相撲協会を解雇されたのは10年7月のこと。相撲界を巻き込んだあの事件とは何だったのか、元大嶽親方が本名の鎌苅忠茂氏に戻って振り返る‥‥。
子供の頃から、(父親が渡世の世界に身を置いていたせいか)ギャンブルというのが身近にあったんだ。でも、中学を卒業すると相撲界に入って、しばらくギャンブルというものをまったくやらなかった。
二子山部屋は角界一の猛稽古で知られる部屋。それこそ朝から晩まで稽古をしていたからね。そんなもん、やる暇なんてない。
ところが、ある程度体もでき、地位も実力もついてくると、ギャンブルをやるようになった。きっかけ?あれは十両の頃、やはりギャンブル狂で知られる琴富士(元関脇・優勝1回)に大井競馬場に誘われたんだ。悪いヤツに連れて行かれたよ(笑)。
当時、十両昇進に伴い、後援会を作らなければならなかった。ところが、手元には10万しかない。それを握りしめて大井に行き、400万儲けた。それで化粧まわしを買うことができたわけです。
それからというもの、ほとんど毎日、分厚い万札を握りしめ大井に通ったよ。もう入り浸りさ。勝てば勝ったで、ますますのめり込み、負けたら悔しさで今度こそリベンジだとレースに熱中したよ。
大関琴光喜が暴力団を胴元とする野球賭博に関与し、1億円の口止め料を要求されていると一部の週刊誌に報じられたのは、一昨年5月。週刊誌には大嶽親方(44)=元関脇貴闘力=が琴光喜から相談を受けていたことも併せて報じられた。これが発端となって幕内、十両力士らが日頃、博打に興じていることが批判された。大嶽親方は同年7月、相撲協会から解雇処分を受けるとあっさり身を引いた。一方、琴光喜は原状の地位回復を求めて協会と東京地裁で争っている。意外にも大嶽親方は、サバサバした様子で、これまでのギャンブル人生を振り返った。
ギャンブルといっても、ふだんはもっぱら、競馬が多かった。一点買いで最高450万賭けたことがある。しかし、駆けた馬がよりによってドンケツでね。かすりもしなかったよ。あの時はさすがに勧めてきた知人に「変な情報持って来るな、ボケ!」って食ってかかったよ。
その一方で、3000万以上勝ったこともある。でも、儲けた金で贅沢しようなんて気にはまったくならないよ。ハナ差で8000万をフイにしたこともある。写真判定になって結果が出るまでに10分くらいかかってね。負けた予感はあったけど、もしかしたらっ てハラハラドキドキだったね。負けたとわかった時は、これが直線の長い東京ではなくて中山競馬場だったら、と思ったものだよ。
オレたち、勝負師ってのは毎日、勝ったり負けたりしているでしょ。だから、みんな博打好きなんだ。二子山親方からは「相手を張り殺すくらいの気持ちで向かっていけ」と言われていた。ギャンブルで勝って貯金をしているようなスケールの小さい人間じゃあ、土俵に上がるのが怖くなるよ。
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