「英雄、色を好む」というが、06年に亡くなった橋本龍太郎元総理は、歴代首相の中でも“女性問題”には、事欠かなかった。中でも銀座ホステスの「一夜妻告白」は、衝撃的だった。当時、22歳だった人気ホステスと将来を嘱望された青年政治家の肉体関係は、世の関心を集め、週刊誌でも再三取り上げられた。そんな「一夜限りの告白」は、その後の人生に大きな影を落とすこととなったのだ。
先生との出会いで作家になれる
「90年に、雑誌2誌で『橋龍の一夜妻』として暴露記事に取り上げられてから06年に橋本さんがお亡くなりになられるまでの約16年間は、ひと言で言えば、もう『踏んだり蹴ったり』の毎日でした。暴露記事の5年後の95 年には、昔からの念願であった作家デビューを果たせましたが、『一夜妻』の印象が強くて、周囲からは『金目当てだ』と見られて、込み上げる悲しさで毎日泣いてばかり。話をするのは、取材で相手にしてくれるマスコミの人たちとばかりで、世間との関わりは一切持たない生活を強いられていました」
現在、作家として活躍している金沢京子が、銀座の夜の街に舞い降りたのは、2年間のOL生活のあとだった。折しもバブル華やかなりし時代。
政治家も御多分に漏れず、高級クラブに繰り出すことも少なくなかった。そんな中でもひときわ目立つ男性がいた。ポマードで頭を固め、脂ぎった顔からは野心家ぶりがうかがえた。当時、“政界のプリンス”として将来の首相候補と嘱望されていた橋本龍太郎だった。
20軒もの高級店を渡り歩いた売れっ子ホステスの金沢が、見初められるのに時間はかからなかった。初めてのデートで一夜を共にした。そして90年2月、金沢は〈橋龍の一夜妻〉として、マスコミの前に顔を出して、その一部始終を告白。
一躍、時の人となったのである。その理由を金沢が振り返る。
「私は、家が貧乏で、お金持ちと結婚するには家が貧しかったからうまくいかないだろう、と(思っていた)。そんな私が成功するには作家かなっていう感じで、小学3年生くらいから作家になりたいと考えていたんです。そのチャンスをつかめると思ったのが、橋本先生との出会いでした。銀座でホステスとして働くようになり、一流の特権階級の人たちとも出会うようになりました。そんな中、当時勤めていた店のママに橋本先生を紹介されて、デートもでき、一夜も過ごした。だから、橋本先生には私がいつか作家になった時に『よかったね、応援するよ』と言ってくれる関係でいたかったし。だから、ずうっと先生宛てにファンレターも出し続けていました。ところが‥‥」
自分を貧乏な境遇から一流の世界へ引き立ててくれるはずの王子様の“裏切り”が、彼女を「一夜妻の告白」に駆り立てたのである。