ボクサーとしての亀田は日本人初の世界3階級制覇(L・フライ級、フライ級、バンタム級)を成し遂げるなど、35戦33勝(18KO)2敗という好戦績を残した。バンタム級で8度の防衛を重ねたのを含め、世界戦だけで14戦12勝(2KO)2敗というみごとな数字である。相手の呼吸と間合いを読んで繰り出すカウンターは速く、高い技術を感じさせた。
ただ、内容に関しては試合前のKO宣言や豪快なイメージとは著しくかけ離れたものが多かった。「亀田とKOはセット」と吹いておきながら、世界戦で2KOではアピール不足と言えよう。同じバンタム級の山中慎介が10度の世界戦で計14度のダウンを奪って10勝(7KO)を収めていることと比較すると、その差は歴然だ。
試合前のKO宣言や大阪つながりで赤井英和や辰吉丈一郎と比較された亀田だが、彼らと決定的に違う点があるとすれば、試合がエキサイティングではなかったということに尽きよう。ファンが置いてけぼりを食らわされたようなむなしさは、勝ち負け問わず、赤井や辰吉のような試合ではなかったことだ。後年、「亀田と判定がセットやな」と自虐的な表現をしたこともあったが、実のところ亀田自身も忸怩たる思いがあったのだろう。以前、アサヒ芸能のインタビューで「俺は打たれ弱いから打ち合わない」と明かしたことがあったが、これこそが本音だったと見る。
テレビの視聴率が徐々に下降していったのも、こうしたことと無関係ではあるまい。ちなみにラスト・ファイトとなった河野との試合はテレビ東京で放送されたが、視聴率は関東で7.4%、関西で4.9%だった。キャリア後半、亀田は自身がイメージしてきた理想像、あるいは意図的に作り出してきた虚像と乖離する実像を受け入れるというつらい作業をしなければならなかったはずだ。
亀田には繊細で神経質、潔癖な面がある。他人を招いた時でも、その人の靴下の臭いを気にしたし、ゴミや食べ物のカスを落とすことも極端に嫌った。口臭も人一倍気にするタイプで、時には親しい人に「口臭いなぁ」と露骨に指摘することもあった。ちなみに「ボクサーだから当然」と、酒やタバコは口にしなかった。
ボクシングに関してはとにかく研究熱心だった。対戦相手候補の映像を入手するのは当たり前で、さらに海外のサイトから戦歴を引っ張り出してデータをチェック、それを分析する能力にたけていた。その緻密さは試合にも生かされていた。キャリア後半は「亀田プロモーション」の取締役として営業活動にもいそしんでいた。
「(営業は)イヤじゃないよ。いろんな人と会って話すと勉強になる。俺は中学卒業してからボクシングしかしてこなかったから、わからないことがいっぱいある。だから人の話を聞くと役に立つことが多い」
と話していたものだ。第二の人生で実業家を目指すというが、亀田の性格を考えると、向いているのかもしれない。
一般的にはヒールのイメージが強かった亀田だが、実際に接した人の多くは「怖い人だと思っていたけれど、全然違った。敬語も使えるし、礼儀正しい普通の青年」といった感想を漏らしたものだ。私自身、取材を通じて10年以上のつきあいがあるが、一度たりともイヤな思いをしたことはない。それを付記しておきたい。
ボクシングライター:原功