ロンドン五輪出場を決めた北島康介を襲ったライバル・ダーレオーエンの突然の訃報。昨年の世界選手権では、惨敗を喫し、みずからを奮い立たせてくれた、いわば“恩人”でもあった。北島の前に立ちはだかったダーレオーエンとの激闘をスポーツライターの折山淑美氏が振り返る。
代表選考で“自己最速記録”
4月3日のロンドン五輪代表選考会だった競泳日本選手権。男子100メートル平泳ぎ決勝で北島康介は、スタートから観客を魅了する泳ぎを披露した。
「スタート後の浮き上がってからの3ストロークが鍵。そこで力まなければ最後までうまく行ける」
そう話していた部分をリラックスした泳ぎで乗り越えると、キレのある泳ぎでスピードを上げた。50メートル折り返しは100メートルの前半としては自己最速の27秒69だった。
北島はその速い入りにも自信を持っていた。前日の準決勝では27秒74で入り、59秒31のトップタイムで泳いでいたからだ。
「前半を27秒台で入れたのは評価しています。それで行ったら後半泳ぎがどう詰まってしまうかを確認しておきたかったのもあったので。明日の決勝へ向けて自信になりました」
そう言う思いの先には、ロンドン五輪での勝負があった。4位に終わった昨年の世界選手権では、優勝したアレキサンダー・ダーレオーエン(ノルウェー)の27秒20という驚異的なタイムを筆頭に、上位3名は全て27秒台の入りをしていた。その中でも、北島の最大のライバルであり、4月30日に急逝したダーレオーエンに対抗するためには、最低でも27秒台中盤の入りは必要だと、強く意識していたからだ。
後半になってもその泳ぎは崩れなかった。最後の10メートルこそ少し慌てた泳ぎにはなったが、追い上げようとする立石諒に差を詰められることなく、0秒70の大差をつける58秒90でゴール。彼が高速水着時代の08年北京五輪で出した日本記録を0秒01更新して、ロンドン五輪出場を決めた。
「最後は泳ぎも詰まってしまってちょっと焦ったけど、変な詰まりじゃなかったから58秒90が出たんだろうね。85メートルまではよかったけど、最後の10メートルがうまく行かなかったから、タッチした感覚では59秒台前半だと思ったんです。それなのにあの記録だったから、自分でもビックリしましたね」
満足の表情でそう語った北島は、「去年よりいいものを作ってきたという自信はあった」と言葉をつなげた。
「練習内容もそうだし、心の面でも充実していたので、日本へ帰ってからの調整もコーチの意見を聞いて何かを変えるというのはほとんどなかった。今年は本当に自分の力でやらなければいけない年だと思ったし。去年が終わった時点でそういう心構えを持ち、腹を据えて自分がやりたいことを頭の中に描いて取り組んできたんです」
北島は泳ぎ自体も変えていた。北京五輪で金メダルを獲った世界記録の泳ぎは、100メートルの前半50メートルを自身最少の16ストロークで入り、後半の50メートルは30秒88という想定どおりのものだった。
彼の特徴であるキックの強さを存分に生かした、伸びのある大きな泳ぎ。200メートルの泳ぎを基本にしての100メートルとしては、完成型と言えるものだった。
だが「自然に泳ぐことだけを考えて、ストローク数は意識しなかった」と言う今回の泳ぎは、強靱なキックに頼るだけのものではなかった。強化してきた腕のかきも最大限に生かし、バランスよくスピードを上げる泳ぎだった。
「スピード感は非常にいいよね。足で無理やり行っていないから、たぶん、最後も足が水にかかっているのだと思うし。2年前や3年前と違うのは、足がかからないからガムシャラに腕だけを強くしようとか、足だけを強くしようとか単発で何かを鍛えるというのじゃなくて、全体を見ながらやっていることです。たとえ腕が強くなったからといっても、足が蹴れなかったら意味がない。そういう総合的な泳ぎを意識しているんです」
その上で水中での姿勢や体の水の中への入り方など、腕のかきやキックだけではなく、そのつなぎの時のボディポジションなどの部分も年末からは強く意識してきた。外国勢相手のパワーでは勝てないからと言う。