まさに懐かしの甲子園。79年夏の選手権決勝は史上3校目の春夏連覇を狙う箕島(和歌山)と、その箕島の打倒一番手とされた浪商(現・大体大浪商=大阪)を準決勝で降した池田(徳島)の顔合わせとなった。投攻守にスキのない総合力の箕島か、それとも浪商のエース牛島和彦(元・中日など)を攻略した打力が自慢の池田か?
箕島を率いる尾藤公、池田の蔦文也という甲子園を知り尽くした名将の対戦も見どころで注目の一戦となったのである。
試合はいきなり動いた。1回表、池田は箕島のエース・サブマリンの石井毅(現・木村竹志=元・西武)を捕らえ、2本の長短打で先制。だが箕島もその裏、先頭の嶋田宗彦(元・阪神)が池田のエース・橋川正人から左前打で出塁すると4番・北野敏史の打席で二盗、三盗を決める。ここで北野がライト前へ同点打を運ぶのだが、このときの嶋田の出塁がこの試合の勝敗を分ける最大のポイントとなったのである。
試合はその後、4回5回と池田が持ち前の長打で1点ずつを取り、3-1とリードを広げ、展開を優位に進める。だが、この年の箕島は3回戦で星稜(石川)と延長18回の死闘を繰り広げたように、ビハインド時からの反撃がお家芸であった。6回裏には三塁走者の北野が本盗を決め、1点差に迫った。
実はこの試合、箕島はチーム全体で8盗塁を記録している。この大会、これほど足を使った攻撃は他にない。そのすべての謎を解くカギが1回裏の箕島・嶋田の出塁にあった。嶋田は“洞察力・観察眼”に優れており、この一度だけで橋川の投球のクセを見抜いていたのだ。こうして箕島は出塁のたびに走りに走り、この執拗な足攻がエース・橋川を筆頭とする池田内野陣にとってボディブローのようにジワジワと利いていったのである。
そのダメージがMAXになったのが8回裏の守備だった。3つの手痛いエラーを犯し、同点とされてしまったのである。そして、その池田内野陣の動揺を箕島の尾藤監督は見逃さなかった。続く1死一、三塁のチャンスで初球スクイズを敢行。池田バッテリーは懸命にウエスト(バットが届かないようにボールを大きく高めに外す)したが、なんと8番の榎本真治が漫画「ドカベン」の殿馬(とのま/曲芸のようなプレーをする登場キャラ)ばりの“ジャンピングサーカススクイズ”でバットに当て、スクイズ成功。ついに逆転に成功したのだ。
4-3。箕島の勝利でここに史上3校目の春夏連覇が達成されたのだった。そしてこの試合は甲子園における尾藤対蔦という名将の最初で最後の対決となったのである。
1点を守りきれず、惜敗した池田。1点を大事にする野球ではなく、ガンガン打って相手をねじ伏せる“やまびこ打線”で甲子園が席巻するのはそれから3年後のことだった。
(高校野球評論家・上杉純也)