04年夏の選手権で全国制覇し、北海道に史上初となる深紅の大優勝旗を持ち帰った駒大苫小牧(南北海道)。北海道民ならずとも“まさかの優勝”だったが、続く05年の夏も駒苫は決勝戦の舞台まで勝ち上がってきた。
前年のチームは打率4割4分8厘。防御率は5.60だったのに対し、この年のチームは打率3割4分2厘、防御率は1.96。“打のチーム”から一転、この年は“投のチーム”として甲子園を席巻した。投手陣は3年生エースの松橋拓也に吉岡俊輔、そして田中将大(現・ヤンキース)の3人。事実上の柱は当時2年生で背番号が11の田中だったことは言うまでもない。
2連覇をかけた決勝戦の相手は京都外大西。試合は京都外大西・北岡繁一と駒苫・松橋の両エースがともに初回に失点。そのまま1-1で中盤に突入する緊迫の展開に。
試合が動いたのは5回裏。駒苫は2死二塁のチャンスをつかむと5回途中から松橋のあとを受けてマウンドに上がっていた田中が打席に。この田中の三塁ゴロが相手野手の悪送球を呼び、1点を勝ち越したのだ。駒苫は続く6回裏にもタイムリーで1点を追加。だが、7回表に京都外大西打線が反撃を開始する。先頭打者に二塁打を許すと、次打者の二塁ゴロを駒苫の主将で守りの要だった林裕也が悪送球。1点差に迫られてしまう。さらに2死三塁から田中が同点タイムリー二塁打を浴び、試合は振り出しに。
V2を目指す駒苫の底力が発揮されたのはここからだった。7回裏、先頭打者の田中が四球で出塁すると、直前に手痛いエラーを犯した林がセーフティバントを決め、チャンス拡大。ここから流れが駒苫に傾き、この回、2点を勝ち越すのである。
あとは田中の一人舞台。9回表、最後の守りで147キロ、148キロと投げるたびにこの日の最速記録を塗り替え、2者連続三振。そして最後の打者もカウント2-2と追い込んだ。最後の一球は150キロのストレート。三たび、空振り三振に仕留め、ここに57年ぶり6校目の夏の選手権連覇という偉業が達成されたのであった。
その翌06年。史上2校目の夏3連覇を狙った駒苫はエース田中を擁して三たび決勝戦へ進出。日本中を熱狂させた引き分け再試合、あと一歩のところで斎藤佑樹率いる早稲田実(西東京)にその夢を砕かれた。しかし、田中の甲子園全成績は12試合、91回1/3を投げ、8勝0敗。早実に負けたあの決勝戦再試合もリードされた場面でのリリーフ登板だった。実は田中は“無敗”のまま甲子園を去っているのだ。
(高校野球評論家・上杉純也)