おおい町「絶望の風景」
「お金もらってるから反対したくてもできないよ…」
42年ぶりの「原発ゼロ」は、わずか2カ月で終わった。野田総理のゴーサインにより大飯原発が再稼働を開始したのだ。日本海に臨む風光明媚な町は、抗議活動で一時、騒然となった。本誌はかの地を訪れ、住民の本音を聞き歩いた。そこに広がるのは、TVや新聞が報じない「絶望の風景」だったのだ。
大飯原発の異様な光景に…
若狭湾の穏やかな海原を船は大島半島の突端に向かった。船から望むおおい町の風景は、木々の緑に包まれている。まもなく突端となる頃、山あいから白いドーム状の屋根が顔を出す。関西電力・大飯原発だ。
そして、船が突端で折り返す時、緑の中に巨大な建造物は全貌を現した。大自然に囲まれた人工的な建物の中では、原子炉はすでに臨界に達していた。記者は凍りつくような思いにとらわれながら、荒涼たる光景を写真に収めた。
野田佳彦総理(55)が大飯原発3、4号機の再稼働を宣言。静かな福井県おおい町を騒然とさせた。7月1日の再稼働開始直前には、市民団体の抗議活動が勃発。そのため、記者は原発正門にも近寄れず、しかたなく海から接近した。抗議活動で陸路から原発に入れなかった、どこかの副大臣も同じ光景を目にしたことだろう─。
「立地自治体のご理解をいただいた」
この野田総理のセリフが気になっていた。本当に地元住民は再稼働に理解を示しているのだろうか。
おおい町に住む50代のタクシー運転手が言う。
「このへんのモンは、お金をもらっとるから、心の中で『反対』と思うとっても、口には出せへんよ」
いわゆる「電源3法」の交付金を指すのだろう。確かに、おおい町は人口約8800人の規模のわりには巨大な建物が多い。町役場はもちろん、原発PRセンター、小学校も立派である。
住民の口を重くさせているのは、何も交付金だけではなかった。
原発付近の大島に住む20代の女性はこう話した。
「生まれた時から原発があって、高校の同級生の半数が原発関連の仕事をしている。『反原発』どころか『脱原発』とも言えない」
この町の雇用と経済を支える基幹産業が原発なのだ。もはや生活の一部となっている中で、原発に「ノー」と言うのは自分の首を絞める行為である。
しかし、海釣りをしていた60代の男性は不安も口にした。昨年5月に大工として仮設住宅建設のため福島県を訪れたという。
「福島の海岸で双眼鏡を持って、遠くの海を見てる女性、津波で家族が流されたんやろうな‥‥。命からがら全てを捨てて原発から逃げてきた人々も見たんよ。それ以来、原子力は人間が制御できるもんやないって思うようになった。こうして孫に魚を獲って、食わせてやれるのは奇跡的な幸せなのかもしれん」
その話の最中に、犬の散歩で通りかかった70代の男性が声をかけてきた。
「大津波が来たら、原発が爆発する前に、ワシら皆流されて、一発で終わりや」
老人のひと言は諦めを越えた絶望の声に聞こえた。