60年にわたる事件取材において、女性を狙った「犯罪」は避けて通ることができなかった。過去に報道した中で殺人までに発展した性犯罪の数々とは──。
「絵のモデルになってくれませんか?」
赤いシャツにベレー帽、愛車のマツダファミリア・ロータリー・クーペから顔を出し声をかけた女性は延べ127人。誘いに乗り、山中へドライブしては、20人と強引に性的関係を持ち、抵抗した8人を殺害──日本犯罪史上に残る連続殺人犯・大久保清元死刑囚の手口である。
1971年6月3日号で、その一挙手一投足ばかりか、“生い立ち”を紙幅を余すことなくスクープした。中卒後、次々と婦女暴行を繰り返し、刑務所に入るたびに凶悪化した大久保元死刑囚。妻をも強姦したうえで籍に入れ、母親が買い与えた車で“獲物”を物色。車の助手席だけではなくトランクからも、頭髪と陰毛が検出されたことを報じている。
73年3月15日号では「独占! 大久保清獄中日記全公開」を掲載。同年2月22日に死刑判決を受けたあとも、家族、被害女性、警察を憎悪していたことを明らかにした。精神鑑定を行った中田修・東京医科歯科大学教授は、こんなコメントを寄せている。
〈すべてハッタリですよ。しょせん、彼の殺人動機というのは、性的願望と犯行がバレるのを恐れて8人もの女性を殺したにすぎない〉
東京都足立区綾瀬の不良グループが女子高生を拉致。監禁し、暴行と輪姦を繰り返し、2カ月後に死亡させる事件が起きたのは、88年11月25日。世に言う「女子高生コンクリート詰め殺人事件」である。89年4月20日号では事件の詳細を報道した。
主犯格の少年Aが、少年Cに絡まれた被害女性を助けるという“寸劇”を演じて誘い出したこの凶悪犯罪。Cの自宅の2階で監禁され、暴行される際はステレオのボリュームを目いっぱい上げていたこと、排泄は洗面器に、写真や動画を撮られていたことなどを報じた。その15年後の04年7月29日号では、刑期を終えたBが、知人男性を監禁・暴行し逮捕されたことをスクープ。「あの時は楽しかった」「警察や検察をダマすのは簡単だ」と周囲に吹聴していた、その鬼畜の素顔を明らかにした。
99年発生の「桶川ストーカー殺人事件」では、ほぼ犯人を特定。被害女性の交友関係が幅広く、犯人像がしぼれない中で、99年11月18日号でこう報じている。
〈元恋人の岡幸夫(仮名)。ほかならぬこの男こそ、事件前までストーカーとしてSさんを付け回していた人物で、彼女が亡くなる3日前に「殺されるかもしれない」と親友に漏らしていた、当の相手だと言われているのだ〉
この岡こそ犯人・小松和人のこと。小松は実行犯やストーカー行為を13人の仲間に手伝わせていたが、自分だけは姿をくらまし逃亡していた。小松は北海道の屈斜路湖畔で遺体で発見されたが、99年2月10日号では、北海道の小松の様子、逃亡中もススキノで豪遊していたこと、ロシアへ逃亡しようとしていたという情報も併記されていた。
「天国には行けない」
小松の遺書には、こう書いてあったという。