〈不良性感度〉で銀幕を暴れまくり、俺たちをシビれさせた荒ぶる役者たち──松方弘樹、梅宮辰夫、渡瀬恒彦と、いずれ劣らぬクセ者たちが今、重大な危機に直面している。およそ半世紀にわたって縁の深い3人にエールを送る形で、その闘病と苛烈な役者稼業を克明に描く。
5つ違いの実弟であり、同じ役者の道を歩んだ目黒祐樹が言う。
「詳しい情報が入ってこないので、むしろこちらが教えていただきたいくらい。今は1日も早い回復を祈るだけです」
その兄・松方弘樹(74)が体調不良を訴えたのは2月上旬のこと。これまで病気とは無縁の半生だったが、検査で10万人に1人という珍しい発症率の「脳リンパ腫」が判明する。
松方の病室は今も面会謝絶で、手術が困難な部位であることから、抗ガン剤や放射線による治療を続けているという。
「面会謝絶というのは、オヤジなりの美学。リハビリに励んでいるようですが、自分が弱っている姿を見られたくないんでしょう」
松方の“一番弟子”として70年から約10年間、松方邸に住み込みで付き人を務めた俳優・勝野賢三が言う。松方にとって70年代とは、長い役者人生で波乱あり、出世ありの濃密な10年間であったのだ。
「オヤジは役作りに真剣に取り組んでいた。額にシワが欲しくて、鉛筆で描き込んだりもしていた。それが花開いたのが『仁義なき戦い』(73年、東映)やったと思います」
勝野が言うように、日本映画に革命を起こした「仁義なき戦い」は、松方にとっても分岐点となった。時代劇の大スターだった父・近衛十四郎が一線を退き、夫人との離婚問題も間もなく表面化する日々のこと。
筆者が松方に話を聞いた11年、当時の偽りのない心境を明かした。
「映画の本数だけは多いんだけど、これという代表作がない。目黒家の長男として、ここでフンドシを締め直さないと流されてしまうと思った」
菅原文太を筆頭に、松方や梅宮辰夫ら「これまでくすぶっていた中堅どころ」が一斉に跳ねた。とりわけ、松方が演じた坂井鉄也は、シリーズ屈指の名セリフとともに高く評価された。
〈おやじさん、あんたは初めからわしらが担いどる神輿じゃないの。神輿が勝手に歩けるいうんなら歩いてみないや、のう!〉
この当時、松方は30歳になったばかり。文太と向かい合う表情がアップになると、シワひとつない自分の若さが腹立たしい。
「冷たい水と熱いお湯をそれぞれ洗面器に入れて、交互に顔を突っ込むとシワができる‥‥迷信なのかもしれないけど、必死に繰り返したよ」
役への意欲はもちろん、アイデアが泉のようにあふれてきた時期だった。全5作のシリーズで、松方は違う役で3度登場し、3度とも銃弾に倒れる。
そのため、メイクやセリフ回しに趣向を凝らす。目の下に朱をにじませたり、ピラニア軍団と飲んでいた時にひらめいた「ササラモサラ」という出所不明の方言を「むちゃくちゃ」の意味代わりにアドリブで口にする。
「完結篇」のシナリオを書いた脚本家・高田宏治は、松方弘樹という役者の特異性を指摘する。
「高倉健も菅原文太も役者としては“陰”のほう。ところが、弘樹だけは登場しただけで画面が明るくなる“陽”の持ち主。陽のキャラでスターになった役者は、実は珍しいんだ」