渡哲也の病気降板を受け、NHK大河ドラマとして初の「途中で主演交代」の事態に見舞われた。74年の「勝海舟」である。メイン脚本家の倉本聰は、親友の中島貞夫に相談する。
「誰かいない?」
「弘樹ちゃんだったら都合つくかもしれないぜ」
中島は66年の「893愚連隊」(東映)から94年の「首領を殺った男」(東映)まで、最も多くの松方主演作を撮った監督である。時代劇スターの長男として殺陣もできるし、いい意味で器用で、どこかトッポい色合いを持つ松方は、渡哲也の代役を十分にこなせると思った。
本来が映画志向である松方はためらったものの、最終的には東映・岡田茂社長の意に沿う形で了承。付き人の勝野は、共演の江守徹や地井武男と飲み歩く楽しそうな松方の姿を見る。
ただし、全話の終了後に松方は鋭く批判した。
「NHKはモノを作るところじゃない!」
大河の主演という栄誉を、みずから捨てにかかるようだった。さらに、夫婦役で共演した仁科亜希子との不倫から再婚。そして「きつい一発」という流行語にもなった著書では、女たちとのベッドの様子をこれでもかとつまびらかにする。
実は、一連の流れに“戦略”があったと中島は言う。
「大河で知名度が上がって、さあ、そこから弘樹をどうするかと日下部五朗プロデューサーと話した。ここは、やはりイメチェンやろうと。東映の宣伝部も協力して、あの『きつい一発』のような豪放な言い方をさせた。さらに前の奥さんとも別れて、一皮むけたね」
東映に“凱旋”した松方に、どんな映画を用意するのか──。のちに松方が「世界最強の脱獄アクター」と評されるシリーズ第1作「脱獄広島殺人囚」(74年)であった。東映の狙いはただ一点、これまでにない新しい題材だった。
「公開が12月7日ということは、正月映画の前の穴埋め的な時期。ところが、これが予想外の大ヒットになって、東映の内部でも驚きの声が上がった。松方弘樹という色気も華もあるキャラクターが、ようやく客を呼べる題材に巡り合えたね。すかさず『暴動島根刑務所』(75年)、『強盗放火殺人囚』(75年、監督は山下耕作)と続編が作られたから」
中島は、この時代の東映を支えていたのは、松方と渡瀬恒彦の若いエネルギーだったと感謝する。もともと演技力には定評がある松方だが、さらに目を見張ったのは、オールスター大作の「日本の首領 野望篇」(77年)でのこと。
「大学出のインテリヤクザという役どころも難なくこなし、さらに実力派の女優・岸田今日子と“男と女”を感じさせる芝居を堂々とこなした。弘樹ちゃんのことはずっと見ているけど、あの芝居の成長ぶりは、思わず『おおっ!』とうなったね」
一方で仁科との再婚後も「きつい一発」は収まらない。海外ロケには日数分のコンドームをスーツケースに詰めさせ、地方の愛人宅から「新幹線で着替えを持って来い」と告げる。いずれも夫人である仁科に対してであった‥‥。