だが、その一方で、紳助の復帰話はまことしやかにささやかれ続けている。
芸能レポーターが言う。
「キッカケは今年の新年に以前の所属先だった吉本興業の大崎洋社長が、紳助の復帰をにおわせるスピーチを行ったことで、『紳助復帰近し』と言われるようになった。実際、水面下では関西の知り合いのテレビ局幹部と懇親会の名目で飲み会を開催するなど、紳助自身も完全に芸能界との関係をシャットアウトしていた時期からは脱している。ようやく次のステップに踏み出したということでしょう」
すでにテレビタレントとして一時代を築いた紳助は、経済的には何ら不自由もなく一生、悠々自適に暮らすことも可能だ。
テレビ局関係者が言う。
「紳助さんの最盛期には、番組1本300万円以上、レギュラー6本に年間10本以上あった特番で、年間5億~6億円くらいの収入があったのではないか。そこから税金で引かれたとしても、3億円ぐらいの金が手元に残っていたはずです」
そうしたタネ銭を元手に、大阪と東京で寿司店などの飲食店や、住居以外にも淡路島に別荘を持ち、さらには、大阪の賃貸マンション2物件のオーナーと、「飲食店王」「不動産王」でもある。これらの上がりに加えて、以前から蓄えた不動産や株式の知識を駆使し、株取引や不動産の競売物件などにも明るいだけに、実業家に転じるという噂も絶えない。
芸能関係者が言う。
「一部報道でお母さんの口などから、台湾やグアム、ハワイ、サイパンの離島に妻を伴って出かけているという話がありますが、不動産の目利きに関しては紳助さん以上に、妻のほうが数段上。恐らく、リゾート地を舞台に新たなビジネスの構想があるのではないですかね」
では、現在の紳助にとって、“主戦場”とも言える飲食ビジネスはどうなっているのか。引退直後には、閑古鳥が鳴いていると言われていた大阪・心斎橋の繁華街にある寿司店、「寿司 はせ川」を訪ねてみた。しかし、店内は活気に満ちており、かつてのようなガラガラの時期とは、まるで別の店のようである。それとなく紳助に話の矛先を向けると、
「ちょいちょいお店にも来られますよ」
と意外な回答が‥‥。やはり、店の繁盛ぶりが気になるようである。だが、ここでも芸能人の影は皆無である。
「会員制のバーのほうには最近まで、ロック歌手の桑名正博さん(59)がよく来られてたんですが‥‥」
桑名正博といえば、今年7月に自宅で脳幹出血で倒れ、現在も闘病中。紳助とはデビュー以来、35年来の数少ない友人である。
「桑名は、まだ無名時代から紳助を支え、事あるごとに小遣いも渡していた。かつて桑名がアン・ルイスと結婚していた時期は、紳助夫婦と家族ぐるみのつきあいをしていたほど。紳助が引退したあとも真っ先に連絡を取り合って、本音を語り合った仲だけに、かけがえのない先輩と後輩の間柄。見舞いにも真っ先に駆けつけたそうです」(古参の芸能記者)
まさに紳助の芸能界引退からの1年は“激動”そのものだったのだ。
では、紳助なきあとのテレビ業界は、どう変わっていったのか。次回、その知られざる舞台裏を明らかにする。