「昔、函館のキャバレーの営業でよ、3日間泊まりで1日3ステージの漫才やる予定が、全然ウケなくて、初日の1回目でクビになって帰されたことあったな。また、あの時代はキャバレーの全盛期でよ、どこのキャバレー行っても支配人が威張ってんだ」
先日、1970年代後半、都内某所にあった大型キャバレーの「ゴールデンショー」のチラシを入手したわたくしが、それを殿に見せると、「おっ! こんなの残ってんだ」と、いたく驚いたあと、“思い出のスイッチ”が入った殿は、漫才ブーム前夜の「ツービート キャバレー営業残酷話」を熱心に語りだし、冒頭の言葉をしみじみと漏らしたのです。これまでにも殿はちょくちょく、まったく売れていなかった時代の、苦手だったキャバレー営業話を弟子に語っています。
「また俺たちがヘタなんだ、キャバレーでのやり方が。何やってもダメでよ。そこで必ずウケてたのが綾小路きみまろだよ」
と、よく、振り返ります。
無名時代のツービートときみまろ師匠は、当時、キャバレーの営業で何度も顔を合わせたそうです。そんなきみまろ師匠は最近、「たけしさんのブラックネタをいくつか拝借して、アレンジしてやってました」と、殿に告白したそうです。
で、キャバレーでの営業が嫌で嫌で仕方がなかった殿は、それでも断り切れなかった理由を「寄席で漫才やるより、断然よかったギャラのため」と回想します。
しかし、いくらギャラがいいとはいえ、“嫌なものは嫌”な性格の殿です。「やっぱり行くのが嫌になってよ、何度もすっぽかしたな」と、開き直ったそうです。
そういえば、浅草無名時代の殿と飲み歩いていた石倉三郎さんにインタビューをした際、「たけちゃんのすごいところは、開き直り」と、語っていました。一方、相方が現場に来なかったきよし師匠は、一人で手品をしたり、急きょ、芸人仲間を呼び寄せてはツービートのフリをして漫才をしたりと、なんとか逃げ切ったとか。それはそれですごい!
そんな、何をやってもダメだったキャバレー営業時代の中で、“あれはウケた”といった日が2回あったそうです。
一つは、漫才でなく、チャンバラコントをした際、殿の振り回すおもちゃの刀が前に座っている客の頭に当たって、その客が怒って舞台に上がってきての大乱闘となり、観ていた客は〈そういうショー〉だと勘違いして、とにかく大ウケだったと。もう一つは──。
「あんまりウケないもんだから、俺がポコ○ン出して、ポコ○ンをお盆の上に乗せて、ケチャップ塗って、『フランクフルトいかがですか?』ってホール回ったら大ウケなんだよ。それで終わったあとに支配人が来て、『いや~、いい芸ですね。またお願いします』なんて言われたけど、そんなもん芸でも何でもねーよ!」
仕事をすっぽかす殿。来たら来たで、ポコ○ンを出す殿。殿の開き直りは、昔から、常にアナーキーなのです。
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◆プロフィール アル北郷(ある・きたごう) 95年、ビートたけしに弟子入り。08年、「アキレスと亀」にて「東スポ映画大賞新人賞」受賞。現在、TBS系「新・情報7daysニュースキャスター」ブレーンなど多方面で活躍中。本連載の単行本「たけし金言集~あるいは資料として現代北野武秘語録」も絶賛発売中!