-
-
人気記事
- 1
- 上原浩治の言う通りだった!「佐々木朗希メジャーではダメ」な大荒れ投球と降板後の態度
- 2
- 【高校野球】全国制覇直後に解任された習志野高校監督の「口の悪さ」/スポーツ界を揺るがせた「あの大問題発言」
- 3
- エスコンフィールドに「駐車場確保が無理すぎる」新たな問題発覚!試合以外のイベントでも恨み節
- 4
- 「子供じゃないんだから」佐々木朗希が米マスコミに叩かれ始めた「温室育ち」のツケ
- 5
- これも「ラヴィット!」効果…TBS田村真子アナ「中日×巨人で始球式」に続く「次に登板するアナウンサー」
- 6
- 過剰な期待に「待った」…上原浩治が断言「佐々木朗希は1年間、マイナーで投げる」
- 7
- 日本人に大打撃!タイ政府「外国人締め出し」で長期滞在とビザ取得が困難に…そして口座凍結まで
- 8
- 「大谷翔平はピストルの弾」「田中将大は石がドーン」ベテラン審判員が目撃した「とんでもない球筋」
- 9
- かたせ梨乃&いとうあさこ「5万円旅」に高橋真麻が感涙復帰で「伝説のボヨンボヨン大揺れ」も復活する
- 10
- ヤクルト・村上宗隆「上半身のコンディション不良」って何?「ポスティング移籍金」に影響するからと…
-
急上昇!話題の記事(アサジョ)
-
働く男のトレンド情報(アサ芸Biz)
-
-
最新号 / アサヒ芸能関連リンク
-
-
厳選!おもしろネタ(アサジョ)
-
最新記事
-
アーカイブ
-
美食と酒の悦楽探究(食楽web)
本能寺の変
社会
「本能寺の変」で鎗を突いたけど逃げられて…織田信長に呪い殺された戦国武将
「呪い」を信じるか信じないかは人それぞれ。実際に「呪い」をかけることを請け負う業者もいるそうだが…。それは戦国時代とて同じこと。なにしろ織田信長に呪い殺されたとされる戦国武将がいるのだ。明智三羽烏のひとりで、安田国継という。信長は天正10年…
社会
本能寺の変で織田信長と運命を共にした男/実在した「忍者」の禁断秘史(6)
天正十年(1582年)に起きた本能寺の変で、織田信長とともに運命を共にしたといわれる甲賀忍者がいる。伴太郎左衛門尉資家である。太郎左衛門は近江国甲賀郡(現・滋賀県甲賀市水口町)の郷士の出で、当初は主に戦国大名の六角氏から仕事を請け負っていた…
社会
毛利輝元のお気に入りに…本能寺の変が人生を変えたキリシタン大名
敵将・毛利輝元に人質として差し出されながら気に入られ、その姓まで賜った──。安土桃山時代から江戸前期にかけて活躍した武将が、毛利高政だ。キリスト教を信仰して日本から追放された高山右近らと同じキリシタン大名だったが、信仰と棄教を繰り返したため…
社会
信長のパワハラが始まり…本能寺の変を引き起こしたのは「社長秘書」の美女だった
本能寺の変は、天正10年(1582年)6月2日、戦国時代の英雄・織田信長が、家臣の明智光秀の謀反によって倒されたもの…ということは誰でも知っている。パワハラが主な要因だったという話もあるが、事実はいまだに解明されていない。その中で、ある美女…
芸能
来年公開映画で…木村拓哉と織田信長「家紋・年齢・本能寺の変」に見る驚くべき共通点
木村拓哉と綾瀬はるかが6月21日、都内で行われた東映70周年記念映画「THELEGEND&BUTTERFLY」の発表会見に出席。木村と信長の共通点が明らかになり、早くも話題を呼んでいる。スポーツ紙記者が解説する。「木村演じるのは『大うつけ』…
社会
かの偉人たちに学ぶ「歴史的健康術」(4)<服部半蔵>視力アップのツボ刺激
映画や小説、漫画にも数多く登場して、忍者ブームの火付け役となったのは服部半蔵だ。忍者の生き様は過酷だが、食事から運動まで理にかなった最高の健康生活でもあったようだ。伊賀の忍者、服部半蔵を一躍有名にしたのが、1582年6月に起こった本能寺の変…
社会
明智光秀の信長討伐は「氏族再興を阻む外交への不満」が原因(2)光秀の「前半生」は苦難の連続だった
そんな両者の関係が急転直下し、謀反につながっていった理由は、信長の外交政策にあったという。唐入り、すなわち中国(当時は明)への進出である。変の3年前、1579年に、イエズス会アジア地区責任者の巡察師・ヴァリニャーニが来日し、少なくとも4回、…
社会
明智光秀の信長討伐は「氏族再興を阻む外交への不満」が原因(1)怨嗟が謀反の原因ではない?
2020年のNHK大河ドラマの主人公に決まった明智光秀。主君の織田信長を本能寺の変で討った謀反人というイメージが強い光秀を主役に据えた意外性が、歴史ファンの間で話題となっている。そんな中、光秀の子孫が、これまで不明とされてきた前半生を解明す…
事件
歴史に秘められたニッポンの「陰謀論」を解け!(2)戦国武将たちの「俗説」を問う
公式な記録資料がなく、子孫の思惑によって「描かれる」ことも多い戦国武将の合戦絵巻。研究家たちが、歴史を動かした謀略の裏側を論破する。たびたび映画やドラマの題材になり、戦国マニアならずとも関心が高いのが「本能寺の変」(1582年)であろう。京…
社会
明智光秀「本能寺の変は室町幕府再興」説に子孫が大反論(2)義昭との関係を示す証拠は…
ここで、今一度、「本能寺の変」前後の情勢をひもといてみよう。足利義昭は、天正元(1573)年に、信長によって京都から追放されたあと、天正5年頃までは諸国の大名に自身の上洛について積極的に働きかけているが、そのあとは援護を毛利氏一本にしぼった…
社会
“明智光秀”子孫が語る「本能寺の変」(3)明智姓を名乗ってるのはほぼいない
くしくも今年は、NHKの大河ドラマ「軍師 官兵衛」でも、春風亭小朝が演じる光秀が登場。「日の本に王は2人いらぬ」と断じる信長に脅威を感じた光秀が朝廷のために立ち上がるという本能寺の変の動機を語っていたが‥‥。明智氏の目にはどう映っていたのか…
カテゴリー: 社会
タグ: 明智光秀, 春風亭小朝, 本能寺の変, 週刊アサヒ芸能 2014年 9/25号
社会
“明智光秀”子孫が語る「本能寺の変」(2)長宗我部征伐で身の危険が…
これまで本能寺の変について史実とされていたのは、信長の家臣として仕えていた光秀が、信長を恨むようになり、天下取りの野望を抱き謀反を企てたというものだった。そして、決起直前になって光秀は重臣に打ち明け、「敵は本能寺にあり」と号令を出し、信長討…
カテゴリー: 社会
タグ: 明智光秀, 本能寺の変, 週刊アサヒ芸能 2014年 9/25号, 長宗我部元親
社会
“明智光秀”子孫が語る「本能寺の変」(1)信長による家康討ちが発端
1582年に発生した日本の歴史上、最大のクーデターと称される「本能寺の変」。なぜ家臣の明智光秀は主君の織田信長を討ったのか‥‥。その動機について、「信長を恨んだ末の謀反だった」というのが定説だったが、光秀の子孫がこれまでの議論に一石を投じた…