今年で夏の甲子園は記念すべき100回目を迎える。そこで全国の高校野球ファンを震わせた歴代のレジェンドチームを地区別に選出。地元に深紅の大優勝旗をもたらした高校は今も伝説となって語り継がれている。
「初めて甲子園出場がかなったのが3年の春の選抜。それも槙原寛己さんの大府高と当たって1回戦敗退でした。最後の夏は、石にかじりついても甲子園に出て、その屈辱を晴らしたいという一心でした。県予選から甲子園の決勝まで、全部で13試合を一人で投げたので『とにかくきつかった』という印象ですね」
とは野球解説者の金村義明氏ご本人の弁。1981年に開催された第63回大会に報徳学園(兵庫代表)の「エース・四番」とし、みごと優勝投手に輝いた。
「今思えば、同じ近畿勢の京都商との決勝が、たがいの実力もわかっているし、逆に一番楽だったかもしれません(笑)。1回戦を勝ってどうにか春の雪辱を果たしたら、2回戦は前年度優勝の横浜高、3回戦が前年度準優勝の早稲田実業。『優勝できる!』なんて微塵も思えませんでしたよ。特に早実の荒木大輔君なんてスーパーヒーローですし、こっちはジェラシーの塊。『何とか負けたくない!』と思うばかりで…」
投げては6試合を投げ抜き防御率1.15。打っては22打数12安打2本塁打とチームを牽引。そんな金村氏が初めて明かした甲子園の「優勝秘話」とは‥‥!?
8月7日発売の「週刊アサヒ芸能」8月16・23号では、金村氏のインタビューを収録するとともに、敵ナシの優勝校からミラクル旋風を巻き起こしたダークホースまで、「スゴすぎる49校」を完全網羅している。