今年は惜しくも県大会で敗退してしまったが、静岡県勢唯一の夏の甲子園優勝を成し遂げたのは“静高”こと静岡高校である。1926年の第12回大会。まだ旧制・静岡中時代の話である。
戦前のこの時期、静岡中の強さは際立っていた。24年に初めて聖地を踏むと翌25年夏から6季連続で甲子園出場。その中で26年夏に悲願の全国制覇を成し遂げたのだ。左腕エース・上野精三(慶大)が準々決勝の延長19回を含む4試合46イニングを1人で投げ抜いた快投は今でも“静高オールドファン”の間で語り草となっているほどだ。
この大会、静岡中は初戦で早稲田実(東京)と対戦。この強豪を9‐2で圧倒すると、続く準々決勝でこの大会最大のハイライトが待っていた。前橋中(現・前橋=群馬)との延長19回の激闘である。現在の高校野球では、昨年まで延長15回で同点の場合は引き分け再試合となっていたが(今年からタイブレーク制度の導入で決勝戦を除き、延長回数の制限規定は廃止され、無制限に続けられることとなった)、当時は決着がつくまで無制限に延長戦が行われていた。そうしたルールによって生まれた死闘でもあった。
試合は前橋中が静岡中のエース・上野の立ち上がりをとらえて1回表に3点、4回表にも2点を加えて5‐0とリードしたが、対する静岡中も4回裏に1点、さらに8回裏には打者一巡の猛攻で一挙4点を取って同点に追いついた。そのまま延長戦に入ると静岡中の上野、前橋中の丸橋仁の両投手が踏ん張り0行進が続く。特に上野は14回表と17回表の二死満塁、19回表の一死二、三塁というピンチを続けざまにしのぐナイスピッチングを展開していた。
そんな上野の頑張りについに打線が応える。19回裏2死から四球と安打でチャンスを作り、ここで4番の福島がセンター前へサヨナラ打を放ったのだ。試合時間4時間10分の激闘だった。
続く準決勝の高松中(現・高松=香川)戦は激闘の疲れをものともせず、5点を奪って5‐1で快勝。決勝戦は満州代表の大連商との決戦となった。試合は2回裏に静岡中が守備の連続ミスを犯し、大連商に1点を献上するも、その後、4回表に今度は大連商に守備のミスが出て静岡中が同点に追いつく。以後は緊迫した投手戦が続いたが、静岡中のエース・上野はスローカーブを武器に相手打線に的を絞らせなかった。そのまま迎えた9回表にまたも大連商に守備の乱れが出て、静岡中は決勝の1点をもぎ取る。そのまま2‐1で逃げ切り、静岡県勢として夏の甲子園初優勝を成し遂げたのである。
この優勝からすでに92年という月日が経ってしまった。これまで同校は夏の甲子園には計24度の出場を果たしているが、現校名では2度の準優勝が最高だ。“静高ファン”は“静岡高校”という校名での全国制覇を夢見ている。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=