兵庫県の「歴代スゴすぎチーム」は、第63回(1981年)大会優勝の報徳学園。6試合を投げ抜き防御率1.15。打っては22打数12安打と「エース・4番」としてチームを牽引した金村義明氏が秘話を明かした。
初めて甲子園出場がかなったのが3年の春の選抜。それも槙原寛己さんの大府高と当たって1回戦敗退でした。最後の夏は、石にかじりついても甲子園に出て、その屈辱を晴らしたいという一心でした。県予選から甲子園の決勝まで、全部で13試合を一人で投げたので「とにかくきつかった」という印象ですね。
今思えば、同じ近畿勢の京都商との決勝が、互いの実力もわかっているし、逆にいちばん楽だったかもしれません(笑)。1回戦を勝ってどうにか春の雪辱を果たしたら、2回戦は前年度優勝の横浜高、3回戦が前年度準優勝の早稲田実業。「優勝できる!」なんて微塵も思えませんでしたよ。特に早実の荒木大輔君なんてスーパーヒーローですし、こっちはジェラシーの塊。「なんとか負けたくない!」と思うばかりで。
早実戦は気持ちとは裏腹に、9回裏までは1対4の負け試合。当時は投打ともに、私の「超ワンマンチーム」。でも、ふだん打てないチームメイトが、この試合では私を援護してくれて、土壇場で同点に追いつき、延長10回でサヨナラ勝ち。「野球は全員でやるもの」と気づかせてくれた試合でした。
そこからは「どことやっても負ける気はしない」という感じで勢いがついて、一気に頂点に駆け上がることができた気がします。