麗子の映画での代表作である「セカンド・ラブ」(83年、東映)を筆頭に、激しい濡れ場は決して少なくない。ただし、生涯にわたって「全裸」になったことは1度もなかった。
麗子の弟である大原政光は、その理由を姉に問うたことがある。
「私が恥ずかしくない胸だったら出すわよ。でも‥‥見せられるものではないから」
おどけたように言ったが、やはりコンプレックスは感じていたようだ。
さらに、女優生命を窮地に追いやったのが、99 年に起きた「整形事件」だったと政光は言う。
「もともと姉は片二重であることを気にしていましたが、突発的に左のまぶたを手術したんですよ」
麗子ほどの女優が高名な美容整形ではなく「安上がりの整形外科」で切った。運悪く雑菌が入ってしまい、別人のようにまぶたが腫れてしまった‥‥。
このため、決まっていた映画の撮影に入ることができず、女優としてのブランクを作ってしまう。
また前年には原田美枝子主演の「愛を乞うひと」が公開され、日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞を獲得する高い評価を受けた。母親から折檻を受け続けたヒロインが「家族の絆」を訴える作品だが、もともとは麗子が原作に感銘を受け、映画化に奔走していたのである。
麗子自身も幼い頃から父親に暴力をふるわれ、絶縁の形をとった。こうした思いから熱望した映画化であったが、すでに“時代”は麗子を必要としなくなっていたのである。
女優・大原麗子の年譜の最後に置かれたのは、元夫であり、生涯を通じて最愛の男であった渡瀬恒彦の「十津川警部シリーズ」だった。
政光は、渡瀬からのオファーで実現したと明かす。
「仕事も減っていた姉を気遣ってくれたんだと思います。姉は常々、渡瀬さんとは『嫌いで別れたわけじゃない』と言っていましたから、喜んでいました」
撮影も順調に終わったが、オンエアを見て麗子の表情が変わった。実際の年齢は渡瀬が2つ上だが、役者として絶頂期にある渡瀬と、過去の人になっていた麗子では残酷なまでに輝きが違った。
「私のほうが老けて見える。悔しい!」
以来、2度と麗子が映像に戻ることはなかった。
やがて浅丘ルリ子だけでなく、プロデューサー・石井ふく子や、芸能レポーター・前田忠明らが「一方的な長電話」の標的となり、さらに孤立を深めてゆく。
政光が最後に姉と会ったのは、亡くなる1カ月ほど前のこと。政光の自宅を訪れ、近く海外に行きたいと口にしたが、実現しないままに世を去っている。それでも──、
「姉はいつの日か自分の生涯を自分で演じる夢を持っていた。残念ながら『主演』はかなわなかったが、こうしてドラマ化されたことは喜んでいるでしょう」
これから1年、2年と時を重ねるたび、俺たちは「大原麗子の不在」を感じるのであろうか──。