04年夏の選手権で、北海道勢としては春夏を通じて史上初となる甲子園優勝を果たした駒大苫小牧(南北海道)。その翌年夏も2年生ながらエース格の働きを見せた田中将大(現・ニューヨーク・ヤンキース)の活躍で、史上6校目となる夏連覇を達成した。
そして田中が絶対的エースとなった06年夏。史上2校目となる夏3連覇を懸け、駒苫は三たび甲子園にやって来た。そんな駒苫の最初の関門となったのが3回戦。津軽海峡を挟んだ隣県代表・青森山田だ。
この大会、駒苫には一つ不安要素があった。肝心のエース・田中が体調不良だったのだ。そのため、控え投手が先発したのだが、これが大誤算。3回までに大量6失点を喫してしまう。その3回途中から慌てて田中を投入するも、4回表に1点を追加され1‐7。相手エース右腕の野田雄大は初戦延岡学園(宮崎)では貫禄の完封勝ちを収めていたプロ注目の好投手ということもあって、これ以上ない劣勢の展開に追いやられてしまった。
だが、野田に5回まで5安打2得点に抑えられていた打線が逆襲を開始する。疲れの見え始めた6回に3本の長短打で2点を返すと、7回にも2本の二塁打で1得点。5‐7と追い上げたのである。8回表に1点を追加され再び3点差とされたが、その裏にも3本の長短打を集め、ついに8‐8と試合を振り出しに戻したのだった。
こうなるともう負けられない駒苫。しかしその思いは青森山田も同じであった。9回表、先頭の近藤龍義が田中から二塁打を放つと犠打と四球などで2死一、三塁とふたたび勝ち越しのチャンスをつかむ。この場面で5番・大東憲司がライト前へ値千金の勝ち越しタイムリー。この死闘もこれで勝負あったかと思われた。だが、夢の3連覇へ一歩も引けない駒苫は1死から3番・中沢竜也が難しい内角球を巧みなバットコントロールですくいあげると打球はライトスタンドへ一直線。なんと起死回生の同点弾となって飛び込んだのである。さらに2死後から5番に入っていた田中みずからがセンター前へ弾き返して出塁。続く6番・三谷忠央が右中間への大きな当たりを放つと、青森山田外野陣が打球処理にもたつき、バックホームがクロスプレーに。これをみごとなスライディングでかいくぐった田中がホームインし、10‐9。夏の王者が夢をつなぐ大逆転サヨナラ勝ちを収めたのであった。青森山田に優秀な控え投手が1枚いれば、また違った展開になっていたと思われるが、それでも長短16安打で最大6点差を跳ね返した底力はまさに圧巻。王者の貫禄であった。
この激闘を制した駒苫は続く準々決勝でも東洋大姫路(兵庫)に0‐4から5‐4の大逆転劇を演じると、準決勝では強打の智弁和歌山相手に2回途中からリリーフ登板した田中が被安打4、1失点の好投で7‐4で勝利し、ついに決勝戦へと進出。戦前の31~33年にかけて中京商が唯一達成した夏の大会3連覇に王手をかける。
だが、そこに“ラスボス”として現れたのが“ハンカチ王子”ことエース・斎藤佑樹擁する早稲田実(西東京)。緊迫した投手戦で延長15回規定により引き分け再試合。翌日も激闘を繰り広げるが、駒苫は3‐4で屈することになるのだった。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=