74年にデビューし、「HERO」「安奈」などのヒット曲で知られる甲斐バンドが解散したのは、86年だった。
その後たびたび「再結成ライブ」を行ってきたが、08年、ついにバンド活動に終止符を打つべく、「解散ライブ」と銘打った22年ぶりの全国ツアーを敢行。10月に埼玉でスタートしたライブは翌09年2月7日の日本武道館でのステージを最後に有終の美を飾る…はずだった。
感動の解散からわずか5カ月後の09年7月21日、またもや「再結成」するとのアナウンスがあり、私も都内で行われた彼らの記者会見に行くこととなった。
5度目の再結成会見に参加したのは、甲斐よしひろ、松藤英男、田中一郎の3人。
2度あることは3度あるとはいうものの、5度ということで、さすがに気まずさもあったのか、甲斐は冒頭で、
「いや~、謝罪会見になるかもと思いましたけど」
と思わず苦笑い。またしても再結成する理由を説明した。
「自分自身が今年、デビュー35周年を迎えるということもあって、今秋からのソロライブで一緒にやれるメンバーの選定をしていたんです。ただ、去年の(甲斐バンドとしての)ツアー中、自分としてもすごく充実していて。だったらいちばんフィットしているのかなぁと。今後はお祝い事のたびに集まればいいし、もう解散とかそういうのはいいかな」
思えば「HERO」「安奈」が大ヒットしていた頃の甲斐は、とにかくイケイケだった。
当時、甲斐バンドは「音楽番組はセッティングの時間がないし、1コーラス半しか歌えない。つまり、作り方が乱暴」として、テレビに出ないことを信条としていた。
だが「ザ・ベストテン」(TBS系)には一度だけ、中継で登場。その際も「再放送はしない」「司会者とは一切話さない」という条件が付けられていたことは、有名な話だ。
しかし一方で、日本のロック黎明期、まだロックミュージシャンには貸し出していなかったNHKホールでコンサートを開催したり、81年には花園ラグビー場でも演奏するなど、甲斐バンドは日本のスタジアムロックの先駆けとしても知られる。
とはいえ、人間、歳を重ねていけば丸くなるもの。甲斐はこの日、集まった報道陣にヒット曲「HERO」など3曲を、アコースティック・バージョンでサプライズ・プレゼント。
さらに松藤と田中を紹介する際には、
「彼らはもう老眼鏡をかけなくちゃいけないくらい、目が見えづらくなってるけど、そのぶん、心で人を見ることができるから。変わっていないのは、容姿端麗ってこと。髪の毛もヅラじゃないよ」
そうイジッて会場を沸かせた甲斐の姿に「引き際」の難しさを感じたものだ。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。