傾国の美女、という故事成語がある。元首がその女性を寵愛するあまり政治を疎かにし、国家を崩壊させた女性のことをいう。世界の三大美人といわれる楊貴妃などが、その代表だろう。
日本にもそんな傾国の美女がいる。阿波の小少将(こしょうしょう、生没年不詳)だ。大形殿とも称されているが、実際の名前は伝わっていない。
彼女は夫の部下とよからぬ関係になった上に、その部下とも関係を結んだ、スゴすぎる男遍歴を持っている。
父は阿波国・西条東城主の岡本牧西。最初は阿波の守護で勝瑞城主の細川持隆の側室となり、一男・細川真之をもうけた。持隆には三好実休という部下がいた。
室町幕府の将軍を京都から放逐し、事実上の三好政権を作った、三好長慶の弟だ。当初、持隆と実休の関係は良好だったが、やがて対立。天文22年(1533年)、実休が持隆を殺害するが、発端は不貞だった。
不在なことが多くかなり年上の持隆との夜の生活に満足できなかった小少将が、実休を誘惑。主君の妻との「禁断の恋」に酔った実休が殺人を犯した、というのが真相らしい。
その後、小少将はちゃっかり実休の継室に収まり、三好長治、十河存保らを産むが、幸せは長く続かなかった。実休が久米田の戦いで討ち死にしてしまうのだ。
だが、女盛りだった小少将は新しい男を求め、三好家の有力家臣・篠原長房とその弟・自遁に迫った。長房には断られたものの、自遁が小少将を正室とする。
これに長房は「亡き主人への無礼になる」と2人を諭したが、小少将は逆ギレした。息子・三好長治に命じて、長房を追放。自遁も加勢したため、長房は自害したと伝わっている。
そのうち三好長治が、守護・細川真之と対立。2人とも小少将の息子だったが内乱に発展し、敗れた長治は自刃した。内乱で阿波はグチャグチャになった。
そこに長宗我部元親の大軍が押し寄せる。自遁や息子たちは逃亡し、父・岡本牧西は討死したが、小少将は違っていた。
なんと、敵将だった長宗我部元親の心を射抜いて側室となり、土佐で新たな人生を送ったというのだ。長宗我部右近大夫を産んだという説さえも残っている。
この時の小少将は60歳近い年齢になっていたと推測され、さすがに出産は難しかったのではないか。
だが、政略結婚ではなく、自身の判断で世を渡り歩いた妖艶な女性だったことは、間違いない。
(道嶋慶)