俳優業のみならず、芸能界No.1の実力を誇るプロ雀士しても活動。現在開催中の「Mリーグ2022-23」に「TEAM雷電」の一員として出場している萩原聖人である。
そんな萩原が、とんでもない騒動に巻き込まれたことがあった。それが94年10月から始まった「強打事件」裁判である。
コトの起こりは前年12月26日の深夜、東急田園都市線の中央林間駅前(神奈川県大和市)で、公務員A氏が数人の男に暴行された事件。なんとそのうちの一人が萩原だったとして、A氏が萩原を相手に損害賠償を求める民事訴訟裁判を起こしたのである。
だが、犯人の一味と名指しされた萩原は、その日は女性といたとするアリバイを主張。一方で「相手に迷惑がかかる」と、名前を明かすことを頑なに拒否した。結果、97年4月の一審は敗訴となったのである。
当時、萩原には結婚間近とされる和久井映見がいたことで、芸能マスコミは萩原の「二股疑惑」と書き立てたものだ。
それでも、2人は裁判の渦中である95年11月に結婚。最愛の伴侶を得たことで萩原は奮起する。一審での敗訴の反省から、自ら刑事事件に強い弁護士に会いに行くなどして、弁護団を結成、東京高裁での控訴審に臨んだ。
裁判開始からおおよそ4年の歳月を経た98年7月27日、高裁はA氏による犯人の顔の識別程度や証言の矛盾、さらに萩原が犯人とするには客観的証拠が乏しいとして、萩原に賠償を命じた一審判決を破棄。代わってA氏に対し、慰謝料100万円の支払いを命じる逆転無罪を言い渡したのである。
判決後、弁護団とともに記者会見に臨んだ萩原は、こう言った。
「(判決は)電話で聞きました。家にいて、奥さんと2人で。お互いに抱き合って泣きました。彼女と出会った頃から今回の出来事があって。一部始終を知っていながらも、僕のところに来てくれて…。彼女の涙がいちばん嬉しかった」
感無量の笑顔で、妻・和久井の「内助の功」を称えたのだった。
ところが、夫婦のことは夫婦にしかわからない、とは本当によく言ったものだ。様々な中傷を乗り越え、深い絆で結ばれたと思われた2人だったが、結婚から8年目の03年7月に離婚を発表。原因は萩原の女遊びやギャンブルとも言われたが、お互いの口から真相が語られていないこともあり、実際のところは憶測の域を出ていない。
逆転判決が出た夜、2人は萩原の母が経営する東京・新宿のスナックで裁判関係者、スタッフを交えて祝杯をあげたのだが、同席した関係者は筆者の取材に、
「萩原君のお母さんが、映見ちゃんがいてくれたから聖人は踏ん張れたんだ、って。映見ちゃんがいなかったらくじけていただろう、と。その言葉を聞いて、映見さんは涙ぐんでいましたよ」
そんな話を聞いていただけに、2人の電撃離婚の一報に、改めて芸能人夫婦の難しさを感じたものである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。