現阪神OB会長の川藤幸三氏に「ウグイス」と呼ばれた外国人選手がいる。登録名ウイッグスこと、リチャード・E・ウィーリグマンだ。
1990年、デトロイト・タイガース傘下の3Aトレドから、阪神タイガースに入団した。だが、当時はマット・キーオ、ラリー・パリッシュという大物助っ人がいたため、あくまで第3の外国人選手、いわば保険だった。
本来ならメジャー経験もなく、パリッシュがいたため1軍に昇格するチャンスはなかったかもしれない。当然、開幕から2軍暮らしが続いたが、そのパリッシュが古傷のヒザの状態が思わしくないこともあり、シーズン中に途中退団。思いもよらず、1軍でプレーするチャンスが巡ってきたのだ。
90年5月8日の中日戦(浜松)に7番・レフトで先発出場したのだが、とにかくバットにボールが当たらない。結局は26試合に出場して、47打数9安打、1本塁打、4打点、打率1割9分1厘というふがいない成績で、わずか1年で解雇されてしまった。
当時、中村勝広監督の下、外野守備走塁コーチを務めていた川藤幸三氏は、なぜかこのウイッグスをかわいがった。1軍外野守備走塁コーチという肩書こそあったが、「春団治」と呼ばれた川藤氏は代打専門。暗黒時代とはいえ、バリバリの1軍選手を指導するのは難しい。高知県安芸での春季キャンプでは「俺は無任所コーチみたいなもの。いや、無任所ではなく無責任コーチや」と自虐に話していたらしい。
その川藤氏が時間潰しの相手に選んだのが、ウイッグスだった。キャンプ中は、グラウンドから離れた場所に設けられたゲージに連れ出し、付きっきりで打撃指導にあたっていたものだ。また、1軍に昇格した後もウイッグスの打撃指導は川藤氏の仕事で、甲子園では試合前にも室内練習場に呼び出し、打撃練習をさせていたという。
この選手は甲高い声の持ち主で、気弱な性格だった。川藤氏の指導に黙々と応じ、時には「私の打撃は間違っていた」と、蚊の鳴くような声で話していたらしい。川藤氏からウグイスと呼ばれていたが、それはウイッグスをウグイスといい間違えただけ。だが1年の間、言われた本人がそれを指摘しなかったというのだから、プロのアスリートには不向きな性格だったかもしれない。
(阿部勝彦)