「今日をもちまして、32年間お世話になりました芸能界を引退します」
2013年4月25日、都内で会見を開き、こう語って政治家への転身を表明した嶋大輔。嶋はロックバンド「横浜銀蝿」の弟分として、81年にデビューした。翌年「男の勲章」が70万枚の大ヒットを記録し、その後、俳優に転身、テレビや映画等で活躍していた。
そんな嶋が事務所を通じ、マスコミ各社に「嶋大輔 芸能界引退決意」と題するFAXを送ったのは、前日4月24日のことだ。自身のフェイスブックでも「明日、細かく経緯と葛藤そして、決断を書かせてもらいます。俺は俺、嶋大輔は変わりません」とファンに向けたメッセージを綴り、この会見に臨んだのである。嶋が熱く語ったのは、
「2年前の震災をきっかけに、教育やいじめ問題に取り組みたいと思い、法案を作れる国会議員になりたいと考えるようになりました。いじめ撲滅という活動をしてきましたが、自分が表に立ってできることとして、政治の世界に飛び込もう思いました」
政治理念は「いじめられない環境づくり」だ。とはいっても、
「まだ党も考えていないし、今は出馬とかではなく、自分にできることを一歩一歩やっていきたい。(自民党から)話があればありがたいが、今のところは白紙」
しかし、夏には参議院選挙があり、自民党からの立候補打診があったことは明白だ。だが嶋は、
「長女の受験が一段落ついて、女房が背中を押してくれた」とし、
芸能界引退宣言についても、
「自分は不器用なので、二足のわらじは履けないと思った」
退路を絶って、不退転の決意を表明したのである。
ところが世の中、本当に明日のことはわからないものだ。この会見からわずか2週間後、嶋が参院選挙出馬を断念したことが発覚、世間を騒がせることになる。自民党関係者を取材すると、こんな話をしてくれた。
「嶋に声をかけたのは、某政治家の秘書。非公式ながら、自民党から公認が得られると伝えられていたようです。ところが会見直後に、それがひっくり返った。政治の世界では、途中でハシゴを外されるのはままあることですが、一般人にはとうてい理解できないでしょうからね。まぁ、本人も確約が取れた後に引退表明すべきだった。気の毒ですが、詰めが甘かったというしかありませんね」
嶋は15年に芸能界に復帰したが、出演したテレビ番組では、参院選出馬に関して「片手(5000万円)は必要」と言われ、2000万円を借金したものの、公認取り消し直後に返金催促が始まり、訴訟へと発展。車や高級時計、さらに自宅も売却したと告白している。
ガッツ石松しかり、嶋もまた永田町の勝手な論理に翻弄されたひとりだったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。