「可愛さ余って憎さ100倍」という諺があるが、確かに愛と憎しみとは表裏一体。そしてこの2人の場合も、その瞬間は突然に訪れたようである。
1980年代後半からテレビ朝日系の情報番組「ザ・スクープ」に出演、人気女性キャスターとして活躍していた田丸美寿々が、ジャーナリストの夫・美里泰伸氏と離婚したのは1991年2月のことだ。だが離婚前に家を出て連絡が取れなくなった田丸に対し、美里氏が書き続けた合計14通、400字詰め原稿用紙400枚以上に及ぶ「返事の来ない」手紙を公開したことで、この離婚劇がドロ沼化。連日、芸能マスコミを賑わせることになった。
2人は1983年2月にゴールインしたが、当時の美里氏には身重の妻がおり、田丸が騒動の責任を取ってフジテレビを退社した。フリーキャスターに転じた後、2人は仲睦まじく雑誌やテレビに登場し、仕事と家庭両方で充実した日々を過ごしている、と思われた。
そんな2人の間に隙間風が吹き始めたのは、前年春だった。そして彼女が家を飛び出したことで、美里氏が前述の手紙を公開することになったわけだが、手紙には「別居の原因が田丸の不倫だった」と綴られていたことで、上を下への大騒ぎになったのである。
連日の報道が過熱する中、沈黙を守り続けていた田丸が「ザ・スクープ」収録後の記者会見で、重い口を開いた。正式に離婚が成立する2日前、2月2日夜のことである。
「美里さんがおっしゃっているように、(離婚は)私のわがままが原因です。自分の仕事に対する姿勢に、こだわりが強すぎたのかもしれません」
改めて離婚表明した彼女は、前年9月に家を出てからは、美里氏とはいっさい連絡を取っていないとした。一方で、美里氏が一部マスコミに暴露した、
「黙認できない事実とは、都内の某シティーホテルで、美寿々がある男と密会していたことです。相手の男は確認できませんが、およそ察しはついています」
との発言については、アキレた表情で猛反論。
「ハッキリ言っておきますが、それだけはいっさいありません。根も葉もないことで、憤りを感じています」
はたして、どちらの言い分が正しいのか。2人を知るマスコミ関係者は、筆者の取材にこう証言している。
「美里氏は先輩ジャーナリストとして、美寿々さんをキャスターに育ててきた一方で、仕事と家庭を切り離せなかった。そこで環境を変えるため、年内に子作りを考えていたようです。そんな矢先、彼女に『ザ・スクープ』の仕事が入り、2人の気持ちに大きなズレが生まれてしまった。美寿々さんが不倫していたかどうかは、わかりません。ただ、落ち着いた家庭を望む美里氏と、仕事が面白くて仕方がない彼女との溝が埋まることはなかった。いわば、ある時から立場が逆転してしまったのかもしれませんね」
それが原因で、愛が憎しみに変わったのか。そんな現実を目の当たりにした騒動だった。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。