新年の日本列島を襲った「能登半島大地震」。だが史実によれば、過去にも年末年始に大地震が発生したことがある。1703年12月31日、丑の刻午前2時頃にマグニチュード8超、最大震度7と想定される相模トラフ巨大地震「元禄地震」がそれだ。
さらには、江戸を襲ったこの元禄地震から2時間後、同日午前4時頃には豊後国由布院周辺で、最大震度6の「元禄豊後地震」が起きた。
元禄地震では太平洋沖で発生した津波が、現在の岩手県から高知県に押し寄せた。今回と同様に、江戸時代の人たちも正月早々、津波から避難したことが各地の古文書に記されている。
内閣府防災情報サイトによると、この元禄地震の4年後、1707年10月には南海トラフを震源域とする「宝永地震」が起きた。さらに同年12月には、史実に残っている中では最大規模、最悪の被害を出した「宝永の富士山噴火」が発生している。
元日の能登半島大地震、翌2日の羽田空港事故のショックを引きずっている人もいる中、不必要に怖がる必要はないが、国が防災情報サイトにあえて「元禄地震」「宝永地震」「富士山噴火」を一連の災害として掲載しているのは、「備えを万全にしてほしい」というメッセージと読み解くべきだろう。
今回の震源地に近い輪島市、珠洲市は65歳以上の人口が住民の過半数を超え、国の耐震基準を満たした家屋割合も、全国平均を大きく下回るという。
「現地で救援物資や非常食の仕分け作業をする人たちも家が半壊、全壊した被災者なのに、満足に休息もとれない。動ける若い人たちも、疲労の限界に達しているみたいです」
と北陸出身の医療関係者が、被災地の様子を教えてくれた。
道路が寸断され、震源に近い能登半島の被害状況は、地震発生後5日以上経過しても把握しきれていない。次にどこが巨大地震と津波に襲われてもおかしくない、地震列島日本。古い木造家屋にひとりで暮らす親がいる人はこれを機に、実家の建て替えか実家仕舞いを考えてもいいのではないか。
そして119番や「#7119」「いのちの電話」には年始早々、メンタルを崩した人からの入電が増えている。被災地に1台でも多くの緊急車両、消防救急隊員、レスキュー隊を送り込めるよう、メンタルが弱い人はテレビとネットを見ずに静かに暮らすことが「被災地にできる最大の支援」だ。
(那須優子)