巨人、西武で中継ぎや抑えとして活躍した鹿取義隆氏が、高橋慶彦氏のYouTubeチャンネル〈よしひこチャンネル〉で、西武時代のプレッシャーを振り返った。
右のサイドスローとして名を馳せた鹿取氏は、巨人時代の1987年に7勝18セーブ、1988年にも8勝17セーブ。1987年は王貞治監督のもと、リーグ制覇に貢献した。
しかし、藤田元司監督に代わった1989年は世代交代による出場機会減少も伴い、2勝3セーブにとどまると、シーズン後に西武へ移籍。ここで3勝24セーブを挙げ、復活を遂げたのである。初の最優秀救援投手のタイトルを獲得した鹿取氏は、西武で活躍できた理由を次のように明かした。
「あれはチームがよかったからじゃないですか。その前の年はクローザーがいなくて負けたんですよ。先発がクローザーやったりしてたから、負担になって打たれてしまったってところがあったみたいで。先発はよかったんですけど、後ろが弱かったのかな」
当時の森祇晶監督からは、大きなプレッシャーをかけられていた。
「西本は去年行って、20勝したよな」
1981年に沢村賞に輝いた巨人・西本聖氏が1989年、中日に移籍。するとキャリアハイとなる20勝で、初の最多勝に輝いていたのだ。
森監督のプレッシャー采配は、こんなところにも現れた。1990年にドラフト1位で入団し、開幕1軍入りを果たしたルーキー・潮崎哲也で続投させればいいところを、あえて鹿取氏に交代させる場面は多く、
「あれは無理やり、森監督が使ったんじゃないかという感じがしました」
と振り返る鹿取氏。タイトルを獲らせようとの、森監督の温情采配であったか。
(所ひで/ユーチューブライター)