酒は飲め飲め。安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した、母里友信(もり・とものぶ)という戦国武将がいる。槍術に優れた剛力の勇将として知られ、生涯に76の首を挙げたとされている。
通称・太兵衛と呼ばれる友信は、民謡「黒田節」で謡われる名槍「日本号」を、あの福島正則から飲み取ったことで有名な人物だ。「日本号」は室町時代後期に作られたと伝えられており、「蜻蛉切」「御手杵」と並ぶ「天下三名槍」。槍にもかかわらず、「正三位」の位を賜っている。正三位とは、現代でいえば国務大臣に相当する大納言クラスに与えられる官位である。
この逸話は豊臣秀吉の朝鮮出兵、文禄・慶長の役の休戦中の出来事だったとされている。主君・黒田長政の使いで京都伏見城に滞留する福島正則の元へ使者として出向いた際、友信は大盃の酒を勧められた。本来は家中で「フカ」を呼ばれた友信だったが、使者だったため、断ったという。
だが、酔った勢いで部下に切腹を命じたこともあるほど酒癖の悪い正則は「飲み干せたならば好きな褒美をやる。オレの酒が飲めないのか」と絡んだ挙げ句、「黒田武士は酒に弱い、酔えば何の役にも立たないからだ」などとディスり始めた。
これには友信もカチンときたらしい。大盃になみなみと注がれた数杯の酒を一気に飲み干した上、正則が豊臣秀吉から拝領した名槍「日本号」を所望したという。これには正則も「武士に二言はない」と、褒美として差し出すしかなかったとか。これによって「飲み取り日本号」という異名も与えられ、黒田武士の男意気を示す逸話として広まった。
のちに博多人形の題材として多く取り上げられるようになり、JR博多駅前や西公園内光雲神社などには、この逸話を元にした銅像もある。酒で失敗した人間は古今東西多いが、大酒飲みで得をした、まれな人物かもしれない。
「日本号」は現在、福岡市博物館に現物が、広島城にレプリカがある。
(道嶋慶)