SixTONESの松村北斗と上白石萌音が主演する「夜明けのすべて」がヒットしている。2人の主演者はじめ、何人もの俳優たちが作品を支えているが、ここでは2人について語る(少し話の内実に踏み込むので、ご容赦を)。
パニック障害を持つ孝俊(松村)と、PMS(月経前症候群)を抱える美紗(上白石)は、同じ職場に勤める。席は隣同士だ。ともに極度に体調が悪くなる時がある。
その症状の違いを浮き彫りにする会話のシーンが見事だ。孝俊の障害に意外にズケズケ入り込む美紗に対し、孝俊は微妙な表情を見せる。会話の最後では、彼が発した障害をめぐる言葉に反応した美紗が、少し強い口調を挟む。
障害が持つデリケートな部分に分け入る微細な言葉のやり取りが、まるで高度なサスペンス劇のような緊張感を生む。見る者はハラハラしっぱなしになる。
ギクシャクする2人の距離感だが、ある地点から変化を遂げる。そこをどのように描くか。この転換点の描写が、本作の肝だと言っていい。
それは笑顔(美紗)と笑い(孝俊)にあった。サスペンス調の緊張の糸が笑顔、笑いによって、ほぐされていく。作品の方向性が定まった瞬間である。引き金になるのは自転車だ。
ある時、自身の住まいで突発的に笑顔を浮かべた美紗は、なぜか汚れた自転車の掃除を始める。丹念な掃除の意味が、ここではわからない。
さあ、自転車をどうするか。孝俊と関係があるわけだが、その過程で彼の笑いが画面に響きわたる。2人の笑顔と笑いが結びつく瞬間だ。
転換点はそこにとどまらない。次なる別のシーンが見ものだった。それまで陰鬱だった孝俊の表情は消え、生気がみなぎってくるのだ。それは画面から、はっきりとわかる。
観客が感じ取ったことに導かれるままに、彼と相対する人物もまた、思わずそのことを指摘する。孝俊が、ちょっぴり笑顔になる。全く鮮やかなシーンである。
その後の2人は、ちょっと対極的な振る舞いになっていく。孝俊は明快な変化とともに歩む。先の笑い、笑顔を経て、生活そのものに張りが出てくる。
美紗は体調が一定ではないから、笑顔が首尾一貫するわけではない。突発的に怒り出す彼女に、絶えず気を遣う孝俊の数々の所作は、美紗から始まった支え合いが基盤になっている。
松村は一変した表情を見るだけで、圧倒的な演技力の持ち主であることがわかる。あの生気ある表情によって、映画の道筋に「希望」という言葉を当てはめたくなる。
上白石は、配慮ある人間関係を保つ人柄が天下一品だ。そこから逸脱していく際、極端すぎる変貌の姿を見せないのも、彼女ならではの個性である。なんとかギリギリ、押しとどまる感じがある。
「夜明けのすべて」は、多くの人に「希望」を与える。言葉が上滑りする安直な「希望」ではない。映画のように生きることができると、思わせてくれるのだ。傑作である。
(大高宏雄)
映画ジャーナリスト。キネマ旬報「大高宏雄のファイト・シネクラブ」、毎日新聞「チャートの裏側」などを連載。新著「アメリカ映画に明日はあるか」(ハモニカブックス)など著書多数。1992年から毎年、独立系作品を中心とした映画賞「日本映画プロフェッショナル大賞(略称=日プロ大賞)」を主宰。2023年には32回目を迎えた。