「芸能界最強」という言葉は、様々なジャンルで聞かれる言葉だ。知識や見識、趣味、グルメ、名コンビ、ギャラ、破天荒エピソード…。あまたある中で、やはり興味をソソるのは「ガチでケンカしたら、誰が飛びぬけて強いのか」だろう。いかにも強そうな俳優やタレントはいるが、能ある鷹は爪を隠すというのか、誰もが震え上がった人物は、なんとも意外なたたずまいだったのである。(4月10日配信)
映画「仁義なき戦い」シリーズや、ドラマ「十津川警部」など数々の作品に出演。昭和、平成を代表する名優と言われた渡瀬恒彦が、多臓器不全のため都内の病院で亡くなったのは、2017年3月14日のことだ。72歳だった。
説明するまでもなく、3歳違いの兄は渡哲也。渡瀬は大学卒業後、当時日活の青春スターだった兄とは別の道を歩んで、電通に就職。その後、東映にスカウトされ、サラリーマンから役者に転じたユニークな経歴を持つ。
そんな2人が俳優として共演したのは3回。最初は1971年のNHKドラマ「あまくちからくち」だった。その後、40年ぶりとなる2回目の共演が、2011年12月放送のTBSドラマ「帰郷」だった。
これは下町の人情味あふれる家族の絆を描いたもので、2人は劇中でも兄弟役を演じた。12月5日、千葉県市川市内で撮影はクランクアップ。その後、ラストシーンの正装姿のまま記者会見に臨んだ2人は、40年ぶりの共演に「プライベートではしたことがない」という握手を交わして照れ笑い。
渡「身内には言いにくいが、(渡瀬は)私をはるかに超える俳優になった。私はボール気味のストレートしか投げられないが、弟はフォーク、スライダー、カーブも投げられる」
渡瀬「撮影が終わって、ある種の寂しさを感じている。また兄弟共演をやってもいいかな」
渡「弟とやるのはもう十分。遠慮します」
照れる渡の姿に、会見場の雰囲気が和んだのだった。
演技しかり、「ケンカも勉強も、弟の方が上だった」と常々語っていた渡だが、渡瀬の「芸能界最強伝説」が芸能記者の間で語り草になっていたことは事実だ。ベテラン芸能記者が言う。
「むろん本人の口から出た話ではありませんが、渡瀬は空手の有段者で、その強さはケタ外れ。安岡力也を東映会館の駐車場で半殺しにした、あるいは舘ひろしに鉄拳制裁を食らわせた。さらには血気盛んだった頃の、あの松田優作さえも一撃で倒したという伝説があり、映画を地で行く、いや映画以上の逸話が数多く残されています」
ただ、ケンカの強さをひけらかすことはなく、現場では気配りの人とされ、多くの仲間や後輩から慕われていた渡瀬。
そんな彼に胆のうガンが見つかったのは2015年だ。以降は闘病を続けてきたが、兄や仲間たちの願いが天に届くことはなかった。
渡は石原プロを通じて、こうコメントした。
「幼少期より今日に到るまで二人の生い立ちや、同じ俳優として過ごした日々が思い返され、その情景が断ち切れず、辛さが募るばかりです」
兄弟最後の共演は、2013年の「十津川警部シリーズ50作品記念『消えたタンカー』」だった。そして弟の死から3年後の2020年8月、兄も弟の元へと旅立った。
深い絆で結ばれていた兄弟。天国では酒を酌み交わしながら、昔話に花を咲かせていることだろう。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。