── 1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万博。日本は急速に経済成長を成し遂げる。新幹線が走り高速道路が伸び、都市の風景は急激に変わっていく。敗戦国だった日本は、いつの間にか経済大国となっていった。
昭和30年代になると私たちも何とか食べ物に不自由しなくなり、着るものもよくなりました。小学生の時、父兄会に来る母親たちの半分は和服姿でした。それが中学校になるとほとんどが洋服です。アメリカ的な生活様式が入ってきたのです、経済成長とともに。「古い日本よさようなら、ようこそアメリカ」と。
私は幼い頃、東京・竹橋にあった中央気象台(現・気象庁)の官舎で育ちました。すぐ近くに日本橋川が流れています。そこに橋脚が突き立てられ高速道路が作られました。その光景を見て、なんとむごいことをするものだと、自分の心を突き刺されたような気持ちになりました。日本中の街道の起点である日本橋の上を高速道路が覆います。ある人は「街殺し」だと言いました。
戦後、目的を失った日本人は、経済成長のためなら何でもするようになりました。成長と引き換えに失ったのが美的感受性です。アメリカ文化は徐々に日本人の心をむしばんでいきました。
アメリカはもともと「この世にはカネしかない」という国です。しかし日本人は高度経済成長の中でも、それでもまだ「カネより大事なものがある」と思っていました。心の中では戦前のものを引きずっていたからです。
例えばイジメは昔からありました。しかし陰湿なイジメはなかった。なぜなら「卑怯〈ひきょう〉」という言葉が生きていたからです。卑怯であることは、人間として最も恥ずかしいことでした。学校でイジメがあっても、ある限度を超えると「そのぐらいで勘弁してやれよ」「それ以上やるのは卑怯だよ」と止めました。経済成長の頃の子供の親たちは、戦前に教育を受けた人たちです。彼らの中には、まだ武士道の精神が生きていました。
カネのことばかり言うのは、汚いこと、醜いことだという美意識もありました。それが急速に失われてしまうのが1980年代の終わりです。
ベルリンの壁が崩壊し、アメリカの政策が大転換しました。それまでアメリカは、ソ連や共産圏に対してどれだけ軍事的に優位になるかしか考えていなかった。日本が経済発展すると、資本主義の優等生として自慢の種だった。「ほら、日本を見ろ、資本主義でやってきたから、敗戦からこんなにも発展を遂げたんだぞ」と。アメリカも日本を大事にしました。ところが敵国であるソ連が自滅した。
するとアメリカは、対共産圏ではなくて経済戦争に力を振り向けることにしました。日本はアメリカにとって敵国になったのです。第二次世界大戦の敗戦国だった西ドイツと日本が、いつの間にか経済戦争では戦勝国になっていた。これを許しておいてはいけないとアメリカは気づきました。日本を追い落とすためにアメリカがやったのが、新自由主義を注入することです。規制緩和、自由競争、勝者の総取り。まんまと日本人はだまされました。日本人は武士道精神を忘れ、国家は品格を失いました。
◆プロフィール 藤原正彦(ふじわら・まさひこ) お茶の水女子大学名誉教授。43年旧満州新京生まれ。新田次郎、藤原てい夫妻の次男。東京大学理学部数学科大学院修士課程修了。78年「若き数学者のアメリカ」で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。10年「名著講義」で文藝春秋読者賞受賞。「国家の品格」「日本人の誇り」など著書多数。